大韓航空機撃墜事件から35年を経て⑦

会社・組織のこと, 大韓航空機撃墜事件高校中退, チャレンジ, 学校の先生, 起業

事件を契機に、育ちと起業とを語るシリーズ、自分のことは今回で一区切りに。
都合よく飛行機が70分delayなので、ありがたく与えられた時間で。

知らぬ間に大作になってきてますね。。ダレトクなのか心配になるほどに。
まぁせっかくなので、全部できたら自己紹介欄に張り付けておこう。
あと、講演いつでも受けます!と。

ネットに書ける話はいろんなことを気にしてしまうので、
取り扱い注意の生の話は生の場で。呼んでもらえると嬉しいです。
・事件のことも
・今のお仕事のことも
・起業のことも
いろいろ話したいなぁ。

ということで、一番気を遣う学校の先生の話。どこまで書けるかw
直接的には中退の経験と並んで大きい出来事かなぁ。
でもやっぱり、マイノリティとして生きてきたこと、キリスト教的な思想がベースにあってのことですが。

学校の先生というお仕事

学校の先生は、学習指導要領に基づいて、各学校がその裁量により生徒を効率よく指導していくものです。
なので、その学習指導要領など決められた枠の中でしか動けません。

制度の中で手一杯

これは、制度的にも、また、時間的精神的にもそれ以上のことはなかなかできないと思います。というよりも、この制度の中だけでも“ちゃんと”目の前の生徒のためにやろうとすると、それだけで勤務時間などでは到底賄いきれない業務量となります。

それに、多感な時期の生徒たちなので、全員が決めた通りスムーズにうまくいくことは少なく、思った通りに行かなかったその一つ一つに手をかけていかなければならないので、もう大変です。
(失敗をリカバリーするには、通常の数倍、数十倍、数百倍の手数が必要ですよね)

だから、
中退していく生徒が気になっても、日常の仕事のなかで、そこをケアするだけの余裕はありません。
一瞬、ひと時、頭をよぎって想いを巡らすことはあっても、それ以上のことはできません。
その想いを中退していった生徒に届くことはほとんどないのです。

生徒は影響されやすい存在

私自身は、どの年齢からでも、どうにもならない人はいないと思っています。
だから、ちょっと手のかかる生徒がいても、そこに手をかければみんなと行けるようになるんじゃないかと思います。

もちろん、
その抱えているものに触れてもいいような関係性
重荷になってしまうほどに複雑に絡まったいろんなものが分かること
その絡まりを一つ一つ解していく技能も、
それをすべて行うだけの時間と労力も必要です。

もともと私は、前回話したように、
ひとりひとりの気持ちに寄り添いたいと思いながら進んできたわけですから、
手のかかる生徒が自然に目に入ってき、自然とそのように手を差し伸べていく性分なわけです。

ただ、学校とは効率よく教育するために集団教育をしているわけで、そのような集団の方向性を乱す因子は喜ばれません。

「クラス運営というものは、よくできている生徒をほめることで、全体が良い方向に行くものだ」

たくさん受けたこのアドバイスは間違っていないとは思います。
しんどいものを抱えている生徒にまなざしを向けると、全体の方向性を失いかねないからです。
結果として、うまくいかないこともありました。

例えば、
ちゃんとしているのにあまり褒められないでやる気を失う生徒とか、
あの先生は甘いとか怒らないとか、ある種なめてくる生徒とか。

どれも悲しい反応には違いなかったですが、
あくまで、“先生のため”や“学校のため”ではなく、“自分のため”に生きてもらいたいと思っていましたが、それはなかなか届かないものでした。

学校は学校

“ちょっとしんどいものを抱えている生徒のフォロー”
これは、ポジションが上がっても叶うものではなかったです。

そうなると、私の中で行きつく答えは決まっていました。
学校の先生になりたい人はたくさんいるし、学校制度も整っている。
だから、学校の中のことはその人たちにお任せしよう。
自分は、学校の外で、学校から漏れてきたり飛び出してきたりした人たちが、ハンデなく人生を選択できるようにしていきたいと。

起業のハードルは・・・

「教員という安定を捨てて、大変な人生を何で選べたんですか」
という質問をたまに受けることがあります。

今日の最後にこの質問に端的に答えておきたいと思います。
・精神的なことで言えば、「わたしはわたし」という考えがあったこと
・思想的なことで言えば、キリスト教的な考えの元、祈り守られると信じていたこと
・実務的なことで言えば、NPO法人ブレーンヒューマニティでのボランティアとして小さな事業をいくつか経験させてもらえたこと。
・タイミング的なことで言えば、今お借りしている一軒家の大家さんからのご厚意

この辺りのことが重なったからでしょうか。
もちろん、学校の先生時代よりは、時間的にも給与的にも精神的にも大変な状況を過ごしていると思います。

確かに、まだまだ「高校中退」の社会からのまなざしは厳しいです。
通信制高校がいろんな状況の中で取り上げられていますが、
高校中退に日の目の当たる時代はまだまだ先のように思います。

でも、中退時代に出会ったほかの中退者たちから、学校にいる人と比べても圧倒的に勝っている能力を持っている人がいることを教えてもらいました。
夜の街で出会う子たちも、自分の人生を何とかなれば、何とかできればと思っていることを教えてもらいました。

いろんな状況の中で、いろんな育ち方、いろんなものを乗り越えてきているので、簡単ではないでしょう。
わたしの原点はたまたま「大韓航空機撃墜事件」という社会的に大きな出来事でした。でも、出会う中退者一人ひとりにもいろんなことが起こっています。
そして、
そのどれもが、その子にとっての大事件であることは間違いないのです。

高校中退するその子がダメなのではなく、社会がその子にたまたまはまらない形をした一瞬があったというだけなのです。
だから、その能力を合わせて、何とか高校中退に日の目が当たるように、その窓を、ドアを開けるようにしたいと思います。

さて、そろそろ飛行機の時間。
シリーズ最後は、稚内の今年の式典の後に。
(つづく)