大韓航空機撃墜事件の遺族会会報(9.1NEWS)㉓LAST
57号(実質59号)平成7年1995年4月25日
阪神大震災のイメージの1995。中学2年生だったような。
今とは違う署名活動で3万7千超。
すごい数だけど、どうなんだろうか。
それでも何も動かないのが社会問題の難しいところ。。
国際問題だから署名を受け取ってもらえることもかなりハードルが高い。
・稚内での野焼きは続いている。
一回の野焼きでも大変そうだけど、これが毎年続いているのはすごいことだなぁと改めて。
・大阪-稚内直行便
これは切実にうらやましい航路。
10年ぐらい前はPeachが飛んでいたらしいのに。。
大阪-釧路便も一時期無くなっていたけど復活したみたいなことになるといいな。
59号(実質61号)平成10年1998年6月20日
15年を前に。
裁判・和解交渉がそれぞれに進んでいること
韓国でのたくさんの生存者説が出てきたことなど。
希望を見せるのは罪深いと思うけど、
生存者であってほしい願いの帰結なら、なお複雑な気持ち。
火祭りを各地点で同時に行う流れ。
もう野焼きも10年続いていたんだな。
最初3桁だった郵便番号も7桁になり、時の流れを思わずにはいられない。
添えられている短歌からも影響を受けている感じだと思う。
ペンディング中の署名は結局どうなったんだろうか。
そのまま外務省に残ってたりする・・・訳はないと思いつつ。
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と、ここで実家に保管されていた遺族会通信はおしまい。
事件から15年経って、それでも私が合流させてもらった30年までの間にも
いろんな動きがあったことは間違いないんだけど、
遺族会通信としてはこの号で一旦終わったということになるんだろうか。
これから情報をいろいろ集めつつ、
デジタルアーカイブとして残していくことの大切さを考えさせられる終わり。できることをできるだけ、頑張っていこうと思える遺族会通信の振り返りでした。
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