大韓航空機撃墜事件の遺族会会報(9.1NEWS)㉒
54号(実質56号)平成4年1992年9月22日
・10年の節目の慰霊祭
野焼きは92年にも行われたよう。
10年目に向けて海上保安庁などにも声かけしていたり、関係各所への働きかけも活発に行われているよう。
こういう動きは今は出来なさそうだなぁ。会報誌の便りが無くても、各遺族は変わらず動いている。
・真相究明を求める声
防衛庁の情報公開の裏話。「撃墜」の部分のみ、ということは、それ以外のところは日本政府がつかんでいる情報の中でも公開が難しい要因もあったんだろうか。
ムルマンスク事件(大韓航空機銃撃事件:1978年4月20日:同じ航路でソ連の領空侵犯。天測航法でコンパスの故障。日中だけど、威嚇射撃→ミサイル→不時着)の裁判の最中で、今回の事件。
この事件があったから、暗くて民間旅客機と認識できなかった、という弁明の信ぴょう性は失われるように思う。。それっぽいロジックで煙に巻くのは古今東西どの政治でも同じな気もする。それを予防するためには知識なんだろうけど、いろんな方面の知識が求められるのでどうしたものか。
・「ロシア大統領が真相を発表する」というニュース
これまでに明かされていない真相があるんだろうと、ある種の期待を持たせられてしまうよなぁと。
内実は「ソ連の正統性の主張」の情報であっても。
55号(実質58号)発行年月日不明:平成5年1993年9月1日より前(7月ごろか)
・国際遺族会議@モスクワ
機体遺品などが埋められたとの内容。
証言者の発言はどこまでコントロールされているんだろうか。
ロシア側は「発掘に案内する」とのこと。また、ロシア側から92枚の写真が渡され、遺品などが写っているものとのこと。
旧ソ連のやったこと、としてロシアの動きとして評価してもらえるかというところか。「遺体・遺品はない」のソ連側の証言が覆されていく(それをロシアはしている)という感じなんだろうか。
引き伸ばし、小出しで落としどころを探っているように見えるが、、。
・ICAOの再調査報告
ブラックボックスなどの資料の再分析
>自動操縦装置の操作ミス
>民間機かどうかの確認不足
今もこの結果が事実として世の中に受け入れられているが、各遺族の心情はどうだったのだろうか。
米韓日の遺族との連携を取りつつ活動を展開していくよう。
56号(実質58号)平成5年1993年9月17日
・10年の後も遺族会は存続。
30年で初めて参加したときも、同じく会の存続については議題に上がっていました。遺族の高年齢化などの理由が大きいように見えました。
「時間の流れで仕方がないとはいえ、これも風化の一つなのか」とぼんやり思った記憶があります。
あれから10年。自分にできることはないかと探りながら活動を続けています。
今年の40年から先、ますます時間による風化は厳しくなってくるだろうと思いつつ、
風化せずに残す方法を模索もしつつ。
(デジタルアーカイブ化もその一つですが、平和学習などで使える資料に落とし込んで公開するとかもあると良いのかなと思いつつ)
この年まで毎年行われるようになっている野焼き。いつまで続いていたのだろうか。
同日、サハリンのネベリスクでの慰霊祭が行われ、日本からも遺族会のメンバーが出席しコメント。
期待された発掘も、遺品はなく。。
期待をさせて落とすのは絶望が深くなるのでダメだと思う。。
「遺体はなく遺品もない」の矛盾。
発掘すると出てくる遺品らしきもの。
それが本当だとしても、もはや遺族側は信じられる要素が全然ない。
ソ連からロシアになったとはいえ、何も変わっていないということを表す感じ。今後の展開もかなり厳しそうだ。
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