大韓航空機撃墜事件の遺族会会報(9.1NEWS)⑲

大韓航空機撃墜事件

49号(実質51号)平成2年1990年3月2日
・裁判の経過
アメリカでの裁判、東京での裁判の話。
どっちの裁判を選択するのかもそれぞれの遺族の考えがあってのことだと思うし、
東京での裁判も、示談の交渉を受ける遺族もいれば、受けない遺族もいる。
思いもさまざま。

・サハリンでの慰霊祭
稚内での慰霊祭、遺族の人たちの調整、遺品の展示場に政治的運動のとりまとめ。
裁判も進めつつ、サハリン関係の調整も。

もちろん普段のお仕事もありつつだろうから、
遺族会の方々の仕事量がすごいなと思わされる。

うちはいつごろまで関わりがあったのだろうか。

・サハリンの慰霊碑
こちらもひっそりと募金活動が行われ、建てられたとのことで。
ますます再訪したい気持ちに。

・「大韓航空機事件、米軍のミサイル誤射」説。
色んな説が出てくるのは、古今東西、事の大小に関係ないんだなぁと。
遺族にとってはどれも「説」でしかないので、
惑いは大きくなるんじゃないかと。
誰の何の説を信じるか。
亡くなった人たちの声は聞こえない。


号外 平成2年1990年4月16日

・サハリンでの慰霊祭の募金のお願い


50号(実質52号)平成2年1990年6月16日
・漂着物の展示
漂着物だけではなく、
事件そのものに触れる展示にしないといけないとのことで。

本当は今年、事件40年のタイミングで稚内駅での展示が出来ればと思っていたのですが、
微塵も時間を取ることが出来なかった。。。

私は私しかいない。
これからもできるだけ動いていきたいが、、。


・活動への協力呼びかけ
いろんな遺族の声をたくさん聴いて、
ご自身の想いと、他の遺族の想いとの折り合いも大変だろうと思いつつ
遺族会としての苦悩が見えます。
いろいろ考えさせられます。