大韓航空機撃墜事件の遺族会会報(9.1NEWS)⑭
38号(実質39号)(昭和63年4月26日)
・5回目の慰霊祭の日程について
慰霊の火祭りをテーマにした5周年の式典。
遺品の取り扱いもどのようになっていくのか気になるところです。
・外務大臣への嘆願書
「亡くなった」事実を確かめる術が、「発表」「声明」「報道」などしかない。しかもその言葉も二転三転しているのであれば何が本当の事実なのかが分からない。「遺体」や「遺品」など目に見えて背けられない現実があるわけでもなく、「責任」の所在もあいまいで責める先ものらりくらりで不在のまま。
遺された人たちの気持ちがどこにもたどり着けないままで不安定、思いも暴発暴走していくこともあるだろうし、うちの母のように距離を取るとかも、どれも当然の反応。それをどう汲み取ってもらえるのか。政治の世界も利害次第のところも多分にある。
39号(実質40号)(昭和63年6月13日)
・5回目の慰霊祭についてのお知らせを再度
40号(実質41号)(昭和63年7月4日)
・サハリン行きは稚内発着のフェリー
このころは定期航路が就航してたんだろうか。
・火祭りのイメージ
火をくべて、遺族が持ってきた思い思いのものを焼いて、その灰を海に流すとのこと。
道庁保管(ではなく稚内市保管になっていた)遺品も一緒にかと思っていましたが、やはり調整は難航していたんだろうなと。
燃やして供養してしまうともう戻れないので、現状保存案との調整は難しそうだ。。
・さすがに5周年。札幌の韓国領事館からも出席者があるようです。
今年は40年。50年に向けていろいろと動いていこうとは思うし、構想も少しあるのだが。どこまで実現できるだろうか。活動費なども難しそうだ。。
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