4月から新年度が始まって、
Z世代の離職について、ちょこちょこ話題に上がっていますが。
ぐっちのまなざし的に徒然に。
「Z世代は甘い」とか「昔はもっと辛抱強かった」とかいろいろ言われていますが、
ぐっち的にはもう少し違う見方をしています。
この問題は「甘い・厳しい」ではなく、端的に言えば、
「昭和世代には選択肢がなかったが、Z世代には選択肢がある」。
この一言に尽きると思います。
選択肢がないものの強さ
選択肢が無い者は「そこにいるしかない」ため、
真っすぐ1本に集中して精神を研ぎ澄ましようがあります。
それを昔から「腹をくくる」「覚悟を決める」「火事場のクソ力」「窮鼠猫を嚙む」などなど
1つに集中したときの言葉として様々残っているというわけです。
選択肢がないというのは、ある種の強制力によるバフがかかった状態です。
社会全体や各家庭などなど、外からのさまざまな圧力によって「こうあるべき」が強要されます。
この「転職を認めない社会的な雰囲気」という強制がある一方で、
「家庭など仕事以外を犠牲が許される雰囲気」
「希望のあるお給料」
「定年まで雇ってもらえる」
「定年後も安心」
などなどで社会全体でもそれでいいというスタンスであったように思われます。
いわば「仕事」以外のものを考えなくて良い環境が整えられていたとも言えます。
選択肢があるものの弱さ
反対に、現在は選択肢が無数に存在します。
「自由に選択肢を選べる」というのは一見素晴らしいことのように見えます。
がしかし、その素晴らしい自由を手にするためにはそれなりに能力が必要になります。
人は基本的にはサボりたい生き物です。
その上で、どれかの選択肢を「選び」「留まる」ための理由が必要です。
その理由は、端的に「報酬」かもしれないし「使命感」のようなものかもしれません。それらを足し算していき、留まる理由にしていくのです。
なのですが、人は欲深い生き物でもあります。
自由に「人が動く」ということには「お金が動く」ことに結び付けられやすいため、
「隣の芝生は青く見える」しかり、自由であるが故の別の選択肢を後押しする様々な社会的な制度や意見がたくさんあります。
そして、それは「こちらの方が楽」という価値観とともに「良いもの」として受け入れられていっています。
一例として、
①転職市場からの後押し
・条件のいい決まった仕事(ジョブ型の仕事が楽)
・市場価値を上げると収入が増える
そして、日本に合った終身雇用が崩壊して、
さらに高収入こそ正義的な価値観が広がってきています。
世代格差からの後押し
・面倒な付き合いは避けたい
・「ググれば分かる」から「AIに任せる」へ
・「年上」というだけで敬うことはない(年功序列意識の崩壊)。
・「敬語」は自分が尊敬してからで十分。
昭和世代の考え方は古いと断じて、
目に見えるものだけにしか気を回せない人が増えています。
人権界隈からの後押し
・「無理させてはいけない」「配慮しなければならない」
・「辛いことはしなくていい」「逃げてもいい」
・「ブラック○○」「〇〇ハラスメント」という最強の矛
・「体調不良」という最強の盾
など、楽するための武器と言い訳が無限に転がっています。
(成長のための労苦を自分の意思で選んで進まなければいけない状況に)
(医療系の診断名が増えてきていることも判断が難しいところではあります)
個人主義や多様性尊重からの後押し
・自分さえ良ければよい
・誰かと一緒に生きる人のが面倒
コスパ・タイパなど数字化できるもの以外の価値を感じにくい時代となり、
「社会が保護してくれなくなっていること」と
「目に見えているものだけで判断すること」の相乗効果で
誰かのために何かをすることや、目に見えないものへの配慮や畏敬などが失われています。
こういう世の中の果てに
まぁ、これだけの後押しがあるなら、わざわざ我慢するということが
今の人たちにとって難しいことになるのも当然のように思えます。
最後にふと思ったことを2つ3つ。
人間の内面的成長の機会が激減
AIでいろいろ作業もできちゃうし。
何もなければ楽できる方に転がるのが人間。
だとすると、人間とは何者なのか、どう生きるのが良いのか。
など、人間という生命がうわべだけの軽いものになってしまうような気がしてしまいます。
人間は働かなくていいディストピア
AIなどを駆使すると、日常のコミュニケーションさえもそれに任せることがっできるし、
提案から契約までAIが集めてきたものだけで、形を整え仕事にすることすら可能になる。
そう考えると、30年以上前、
かつて夢見た「ロボットが人間の代わりに働いてくれるユートピア」は現実にはならなかったけど、
「自分は仕事をするふりだけで、AIが代わりに動いてくれる」はもう目の前。
そしてそのあまった時間は、一人きりで楽に好きに過ごす、なんてことになるんでしょうか。
自由より強制を好む若い人
近年、大学で授業するときに学生たちに
「強制されるけど従っておけば良い生活」
「自由だけど自分で考えて動かないといけない生活」
のどっちがいい?と聞くと、「強制される方が楽」という答えが過半数なのに驚かされています。、
今は強制されたとしても、その強制の代わりに社会がその収入も価値観もなにも面倒見てくれない状況になっているので、
「強制が良い」→「自由が良い」を行ったり来たりして、社会はますます何もしなくなっていくし、その社会のための重税は止まらないんだろうなと思ってみたりします。