ゆっくり丁寧にやることは素晴らしいこと?

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もちろん、1つのことをゆっくり丁寧にやることに、大きな意味はありますし、それ自体を否定するものではありません。むしろ一つ一つのことに対して丁寧に取り組むことは大事なことです。
とはいえ、立場によっても、状態によってもいろいろ言える世の中で、基本的に「良いことなのでは?」と思われるこの内容。もう少し考えを深めてみたいと思います。

唯一絶対の正しさ、欲しいです。

「ゆっくり丁寧にやること」はいつなんどきでも正しいことなので、大丈夫ですから迷わず絶対にそのようにやってください。と言えたらとても良いのですが、世の中なかなかそうはいきません。

どんなに良い薬も、身体によい食べ物も、疲労回復に重要な睡眠でさえも、必要性が叫ばれる運動も、全て摂りすぎ、やりすぎは逆効果になります。
それは「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉で2500年ほど前から言われている通りです。
どんなに科学的に健康効果が高いと言われるものであっても、「良いものをたくさん集めればもっと良くなる」と一見正しそうな足し算的な”答え”は、人間にとって正しいとは言えないのです。そのくらい世の中で、「唯一絶対の正しさ」なんてものを探そうとするのは至難大変です。人であり、人間ですから。

だからこそ、それは魅力的であり、それを求めてしまうのもまた人間らしさでもあります。しかし、大体は「バランスの中で自分にとっての最適を探す」という何とも面白みも学んだ甲斐もないような結論になりがちです。
(先ほどの「過ぎたるは猶及ばざるが如し」もある意味面白みのない結論です。「(どんなに良いものでも)やりすぎる・ありすぎは、それが足りないのと同じぐらい良くない」という、どの程度従えばいいのかがはっきり分からないため、「答え」が欲しい人には物足りないのです。)

よく考えてみると、そもそも「万人にとっての唯一絶対の正しさ」なるものがすでに発見されたいるのなら、それは瞬く間に全世界に広がり、私たちもそれを知っていて、それに従って生きているはずです。そうなっていないのは、残念ながら「そういうこと」なのです。

「ゆっくり丁寧にやること」の難しさ

では、「ゆっくり丁寧にやること」が絶対的な答えにならないのはなぜでしょうか。1つのことを丁寧にやろうとするのには2つの難しさがあります。

集中投資的なリスク

1つ目のリスクは、順調に前に進んでいる感覚があるときは良いのですが、進みにくくなったときやダメになったときに、1つしかないうちの1つ、つまり「全部がダメになってしまった」と思ってしまうことです。

1つのことを丁寧にやることは良いことですが。その1つに気持ちを込めすぎた場合、失ったときのダメージがさらに大きくなります(期待も呪い一部だと私が思っている理由の1つです)。

ゆっくり進むことの難しさ

そしてもう1つは、慎重に丁寧にしすぎることが失敗を招くということです。
これは、自転車に乗れる人はそれを、そうでないなら歩くことを考えると分かりやすいです。

自転車でものすごくゆっくり走り続けるのは、とても難しいです。フラフラして安定しない状態がずっと続くかと思います。歩くにしてもそうです。可能な限りゆっくり歩こうと思うと、とても筋力が要りますし、どんな姿勢で歩いてたのか?といろんな疑問が浮かんできて、なかなかに難しいことが分かります。自転車を乗るにしても、歩くにしても、何か物事を進めるにしても、ある程度スピードを出さないと安定して進めないのです。
そうしないと、進んだ実感もなく、「これ意味あるのかな?」「何やってるんだろう」と止める理由がどんどん湧いてくることになります。

スピードが出ると怖い

こういう話になると、「でもスピードが出ると怖い」という意見が出てきますし、その恐怖ももちろん経験ありです。
この恐怖にはどう対処したらいいでしょうか。

「多少スピードが出たからってビビッてどーすんだ!」(クローズ9巻)という坊屋春道のセリフが聞こえてきそうですが、怖いものは怖いのです。
何か物事を進めるうえでの怖さにはいろんな種類のものが混じっているとは思うのですが、そもそも人生の進め方、その適正スピード感も分かっていないことが、一層の未知への怖さを引き起こしているのかもしれません。それだからこそ、まずはゆっくり慎重にとなっているのかもしれません。

こればかりは「こけても大したことない」「経験値を積みにいっただけ」ということを自分に言い聞かせる他ないかもしれません。ここの気持ちや経験の乗りこなし方はもちろん一朝一夕で身につくことではないですし、非常に複雑なところなので、ここでは一旦割愛します。

(ちなみに、この「ゆっくり過ぎると大変」と「スピードで過ぎると怖い」は、冒頭の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と同じ構造ですね。)

それでも丁寧さを求めたい

「雑にやる」よりも「丁寧にやる」ほうが良い。これは多くの人が「それはそう」と思うことだと思います。でも、「丁寧さ」を求める難しさもあります。これは先に説明した通りでもあり、「きれいごとはきれいであればあるほど現実化する難度が上がる」という世の中あるあるとも矛盾しないので概ね正しいことなのでしょう。

では、どうすれば「ゆっくり丁寧にやる」を実現できるでしょうか。

集中投資的なリスクに対して

(1)種類を増やす

集中しない方がいい、というなら対策のもっとも単純な方法は、「いくつか同時並行する」になります。
そうすると、うまく進まないことが1つあっても、3つのことを並行に進めていれば3分の1、5つのことなら5分の1に過ぎず、「他のことは進んでいるのでまぁいいか」となりやすいです。

そのために、いろんな角度で自分が動けている感を出すことは大事なのですが、この「いろんな角度」も難しく考えることはありません。勉強をした、散歩に出かけた、家事の手伝いした、趣味の〇〇を進めた、ストレッチした、筋トレした、一日一善などなど日常的できることでも、ちょっと電車で遠出した、テーマパークに行ったなどなどご褒美イベント的なものでもOKです。

(2)細分化する

また、少し見方を変えて「細分化する」という方法もあります。例えば、「勉強のこと」と1つのものとして見ると、「全然分からない」のが「勉強」全体にかかりますが、「英語の勉強」「数学の勉強」と教科などで分けたり、さらに「英語の単語」「英文法」「英語長文」など項目や参考書ごとで分けたりすると、「英文法が分からない」「この参考書が分からない」など、「全然進まない」とダメージを受ける領域を減らせる可能性があります。その反面、こけていない項目が増えるため、安定した進捗につながるでしょう。
ただこれを使いこなすには、「自分がちゃんと”別項目である”と認識する」というハードルがあります。何度も思い込んだり確認し直したりしつつ、新たな思考回路をじっくり作ってみてください。

さて、ここまで見てきた「集中投資的なリスク(特に、種類を増やす)」のやり方は、人生の進め方だけではなく、依存の緩和の考え方とも通づるものがあります。依存先・関係先を増やすことによって、1つに対してどっぷりはまらなくてよいようにするという方法です。ここまで知ると、逆に、「洗脳するためにわざと1つに追い込む(それ以外から切り離す、孤立させる)」みたいな方法との関連も見えてきます。

こけないスピードの獲得

もちろん、同時並行でいろいろ進めることは、「何か進められている」という感覚を持ちやすいので、こけないぐらいのスピード感を持ちやすいという利点にもつながります。
集中投資的なリスクを避けるために分散的にいろいろやることで、ゆっくり進めることの難しさまで解決できるという事です。

それで、はいおしまい。とも言えるのですが、1つのことだけをスピード上げてやっていくためのヒント的なお話をして終わりましょう。

その他のスピード感獲得の方向性

ここからはかなり抽象度が上がってしまいますが、こういう考える方向性もありますよ、という提示を最後にしておきましょう。

客観的な視点で見てみる:スピード感の話で思い出されるのは「すべり台」の話。特に頭を下にしてすべる場合を考えてみると分かりやすいです。滑っている人はすごく早いスピードで滑っているように感じますが、それを見ている人には全然ゆっくり降りているようにしか見えない、という現象です。
パニックになるほど速くなってしまったらどうしようもないかもしれませんが、客観的に自分を見る視点を意識することで、意外に落ち着けるという事もあります。

その中で慣れていく:こちらは「高いところから飛び込む」の話。飛び込み台や堤防からなどの飛び込み、バンジージャンプもですが、すごく高いところから飛び込むことはすごく勇気のいることです。しかし、1度やってしまえば「そんなものか」とか「自分にもできるんだ」とか思って2度目にやるハードルはかなり下がります。
こちらも、1回目に踏み出す勇気を待つのに時間がかかるかもしれませんが、すぐに慣れるかもしれません。

このように、自分の体験や知識から、似たようなエッセンスを抜き出して、今の課題と感覚にすり合わせながらやってみることは結構大事なことです。

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