成長の道を阻むものたち4種

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泥臭く貪欲に成長を続けられる人と、そうでない人。
その違いを思いつくままに4要素について書いてみました。

(1)「経験に基づかない自信がある」

情報だけはいくらでもタダで手軽に取って来れるようになったこともあり、ネット上にはあらゆる成功体験が記されています。
実際に経験していないくても、
その手順や方法だけは知っていて、
成功している人の多さからが自分にもできると思いやすい環境になっています。

「弱さぐらい受け入れられる」

と言うものの、弱さを俎上に出せないまま、
他人には見せず、裏で自分で何とかしようとしつつそれでも変えられなくて諦めてしまうのはあるあるです。

「勉強なんてやったらできる」

と言うものの、実際にやってみたら、たかがこの薄い参考書1冊をやり終えるにもかなり時間がかかってしまう。
やり切れたら御の字で、その1冊も途中で飽きてきて、やがて諦めてしまうパターンもあるあるです。

「勉強とはできない自分と向かい合い続ける作業」です。
教科にしろ単元にしろ、新しいところに入ると分からないことだらけだし、
学ぶスピードにしろ忘れやすさにしろ、できない自分に出会い続けるだろうし、
なんにせよ勉強を進めるということは自分のできなさをどう受け入れるかが鍵です。

※「経験に基づかない自信」の亜種として「思い込みが強い」という側面もありますが、これはこれで今回の文末に少しだけ触れましょう。

(2)「乗り越え経験がない」

これも(1)と関連があるのですが、
「何度か挑戦したけど上手いこと行かなかった人たち」とか
「いろんな状況から挑戦に躊躇してきた人たち」がここに入ります。
そもそも、「今の生活にある程度の満足があり、苦労して乗り越えるだけのメリットを感じられない人たち」もいるでしょう。

失敗しない範囲を見立てて、その中でならなんとか動けるが、
それ以上のことはできないので、
なかなかその歩みが大きくなっていくことが難しいです。
なぜならこの種の成長には、踏み出すための度胸もさることながら、
進んでいくうえである程度のしんどさや痛みを伴うものだからです。
(筋肉痛に成長痛、知恵熱などなど)

また、人間とは「やらない理由探しの天才」です。
それらしい理由を付けて乗り越えることを回避することは日常的に行われます。

これに「プライドの高さ」が組み合わさると、
さらにこの情報社会のお手軽な知識と相まって、
自己弁護の言い訳だけがいっちょ前になっていってしまいます。
そして、「その場面だけは何とかなった」という薄い経験を積んでしまいます。
こうなると、そのコスパの良さにますます挑戦や乗り越える経験がしにくくなってしまう。(裏では「口先だけの人」として周りとは距離が取られてしまうのだけども)

それっぽい「言い訳」は詰まるところ、
「自分は大丈夫なやつなんだ」を固持するための手段の1つであり
それを示す方法としては、実績を出すよりも断然お手軽で、
「切り抜けられた」事実のために即その場でリターンも実感できたりします。
(本当は「自分は大丈夫なやつ」と「切り抜けられた」は「イコールではない」のですが。。。)

今の承認欲求を先に満たされたい世相と、人間的成長とはこれまた相性が悪いですね。

(3)「社会性が乏しい」

社会性というと、周りの他人と上手く付き合えることと捉えられていますが、別の見方をすると、
社会性とは「自分以外への配慮ができるかどうか」と言えるのでないでしょうか。

「社会性」とはその実、「自分以外にもの人・物・事に意識を回すことのできる能力や守備範囲の広さ」にあります。

自分のことだけでも大変な時期ではあるのに、
より広い範囲に配慮や意識を飛ばせるということは、
それだけポテンシャルが高いとも言えます。

いざとなったときに周りに飛ばしている意識を、自分に使うために引き戻せば、
それだけ自分に使う精神や行動力が増すため、より遠くに進めるようになる可能性があると言えるからです。

時代的にも「今・ここ・私」を何よりも大事にする感じ、というよりも
「それだけでいい」という価値観が強いため、こちらも人間的成長とは相性の悪い状況であると言えそうです。

(4)やらなくても良い選択肢が多い

情報社会の弊害はここにもあります。
やり方はすぐに調べれば出てくるし、AIに頼ればすぐにそれっぽいことは教えてくれます。
それと同じように、別の選択肢も簡単に手に入れることができます。
(さきほど「ある程度の生活はできる」という話にも繋がります)

「逃げても良い」とか「嫌なものから逃げるな」とか

いろんな角度の言説に簡単にアクセスできる時代ですが、「この言葉」に従っておけばOKというものはありません。

だからこそ自分の経験として
・自分に必要だと思えば、嫌なもの大変なものと向き合って乗り越えること、とか
・自分に対して理不尽で理解不能で尊厳や命の危機を感じるなら逃げること、とか
「逃げる」も「逃げない」もその温度感や肌感覚などを経験することが必要です。

が、今の世は言葉だけならすぐにそれっぽいものにたどり着くからわざわざ経験しなくても、だし、
形さえ整っていれば誰からも文句は言われないはず、
などなど楽な方向へ利用することがすぐにできちゃう世界です。

結果、「嫌なものはやりたくない」(のでいろんな意見をかき集めて逃れようとはする)けど、
「思い描いた未来は欲しい」という駄々っ子的な思考のまま時間が過ぎていきますし、
時間が進むにつれてどんどん道が狭く険しくなっていくことを眺めることしかできなくなってしまいます。

形ではなく、中身に意味を感じられるようになっていきたいものです。
そのためには、目先の数字などではない、時間も労力もコストのかかる人間的成長を求めて生きたいなと思います。

(※)思い込みが強い(視野が狭い)

これも(1)で出てきたことの補足です。
思い込みはすごく力になってくれることもありますが、
使い方を誤ると、すごく足を引っ張ってしまうものになります。
「自分はこれで大丈夫」「自分はダメなやつ」など、
自分自身に関する思い込みでもそうなのですが、
ここでは、特に勉強の進め方や勉強への向かい方での思い込みです。

例えば、「自分のやり方が最良なはずだ」「自分にはどうせできない」のような極端な思い込みは、
周りや自分を敵にしてしまうため、
良い形で自分を前に進めることからは離れてしまいます。

あれこれ考えすぎてしまうと、頭が重くなって前に進めなくなるのと同様のことが、「思い込み過ぎる」でも生じます。

思考も大事ですが、現実を動かすのはいつも「行動」です。
思考と行動の両面から自分を成長させられるような自分だけのやり方を探れると良いなと思います。

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