大韓航空機撃墜事件から35年を経て①

未分類大韓航空, 冷戦, 飛行機, 大韓航空機撃墜事件

さてさて、ぐっちです。
今日はちょっと私の出自に関わるお話を。
そんでもって、今の私にとって何なのか。この仕事とどうつながってるのか。いろいろ語る事件35年。1つの標本として気楽にお付き合いくださればうれしいです。

プロローグ

先日、ひょんなことからこの本↓探してみたが見当たらずでした。奈良、大阪、兵庫のかなり大きな本屋さんを回ってみるも、やはりない。

それならと、ネットでも見てみてもやっぱり新品の取り扱いはない。
極めつけは 講談社+α文庫作品一覧でもない。ということは・・・

多分これが真実なんだろうなぁと勝手に思っている内容であっただけに、いろんな感情が混じってきますが、事件から35年。当然と言えば当然なのかもしれない。
でもせっかくなので、今このタイミングで思うことをブログを書いてみようと思う。
生きている一遺族として。

30年経ってやってきた事件とのかかわり

私は、この大韓航空機撃墜事件で父を亡くしています。

でもそれはもう35年も前のことで、私はまだ物心つく前で、
それに母も事件についてはあまり口にしなかったし私も聞かなかった。
そんなこともあってか自分はおおよそあまり影響を受けてはいないんだろうなぁと思って育ってきました。

父親と同じ年になるまでは。

それが父親と同じ年になり、
毎年稚内に足を運ぶようになったこと、
遺族会の方とお話するようになったこと、
今の仕事とで塾生や保護者との関りを通して自分に向き合うことも多くなり、
また、母との別れまでの1年半の間にいろいろ話ができたことなど、
事件に触れるたび、少しずつ事件のことを自分にとって切り離せない事件であったことを意識させられてきました。

メディアではなかなか取り上げられない事件であることは分かっていてが、そのうえ、書籍も一般流通に乗らなくなっている。事件の知名度、ひいては世の中の関心の度合いを考えるとその通りなんだろうなぁと思いつつ、やはりなんとも言えない気持ちにはなる。

それでも私にとっては意味の大きな(大きくなった)事件で、この年になってから改めて、ほとんど初めましてぐらいな感じで再会した自分事の事件にはなお、この事件の性質上いろんな示唆に富む出来事であると思っています。それこそ、大きく出れば国際平和、世界平和を考えることだってできます。

生きた意味、死んだ意味。もしかしたらそんなものは生きている人のエゴに他ならないかもしれません。”たら””れば”なんて歴史には意味の無いものであることも知っています。

それでもなお、そのまま歴史の中で風化していくことは残念な気持ちにもなり、もう父も母も安らかにいてもらいたい気持ちにもなり。それでもどれが親の本望なのかは分からずで。

いろんな気持ちや想い出、思惑が流れ込んできて複雑な気持ちになります。
その複雑な気持ちのなかから、一遺族個人としてこの事件にまつわる私事を書いていきます。

この事件のあらまし

私が思っているこの飛行機事件の概要はこんな感じ。

・アメリカから韓国経由で日本に帰ってくる予定の、韓国に着く手前の出来事
・旅客機のパイロットは、間違った飛行地点を管制に伝えていた
・時代は冷戦下。アメリカ発の飛行機ソ連の領空を侵犯した
・戦争なので、アメリカのスパイ機は飛んでいたよう
・スパイ機の中には、民間旅客機を模したものもあったとか
・ソ連の軍用機は、ミサイルを撃ち込んで撃墜した
・乗客乗員269人が死亡した
・その中に日本人28名が含まれていた
・死体はほとんど漂流していなかった
・強制着陸のうえ拿捕されているという話もまことしやかに
・真相も分からないままに捜査などが終了した
・いろんな人がいろんな立場からいろんな証言が出てきて真相は一層遠のく

謎も多く、都市伝説としていろんな説がささやかれている事件ではあるので、何がどこまで真実なのか、ということは、一民間人の私には分かりかねるわけで。だからこそ、遺族にとっては(特に母にとっては)心のやり場が失われるわけなのですが。
(これを「わかりかねる」と冷静に一旦置いておけるのは、30年寝かしてくれた母のおかげです。)
(この辺のことは母の想いになるので深堀って公開することは避けますね。)

でもまぁ事件のことを知れば知るほど、母が受けたものの大きさとそれから守られた母への感謝の念が大きくなるばかりで。と言いつつ、それでもこの生き方が変わったかというと分かりませんが。

それでも、今はこの図らずも受けたものをただ“御心のままに”つなげられていることを祈るのみです。

この事件の世間の扱い

この事件のことを知っていらっしゃる方がどれくらいいるだろうか。

この時期は大韓航空の事件がいくつか重なっていることもあり、大韓航空機撃墜事件と言っても「あぁ、金賢姫の・・・」と言われることがあります。(それは大韓航空機爆破事件:1987年11月29日)
1980年代の大韓航空は死者がたくさん出る事件・事故が頻発してたので、なかなか区別はできないですよね。
近年も大韓航空は騒がしいですが、ナッツ姫とか水かけ姫とか、死者は出てないにしても、これはこれでなんとも言えないやつですね。

ともあれ、うちの事件は、確かに取り上げにくいんだろうなぁとは思います。
日本人の犠牲者はいるが飛行機事件にしてはそこまで多くはなく、
ソ連の領域での墜落だし、
アメリカー韓国でのことだし、
韓国の航空会社だし。

しかも、

冷戦下の非常時で、
国と国との関係性や責任の所在などいろんな思惑が絡まった事件なので、切り取り方が難しいのかもしれないなぁと。

だから、遺された個人として何か残しておくこと、
ただの事実や事件の記録としてではなくて、何か意味のある形を添えて残せたらいいなぁと思いながら。
続き、ぼちぼち続きを書いていきます。