大韓航空機撃墜事件の遺族会会報(9.1NEWS)⑱

大韓航空機撃墜事件

47号(実質49号)平成元年1989年9月3日
・遺体・遺品がない中で6周年
ものもなく、各機関の思惑や政治的なものも含んだ声明だけで、
事件を信じ、そのうえで気持ちを整理していかないといけない厳しさは想像を絶する。。

・責任は大韓航空側との判決(アメリカの裁判で重過失の判決のことかな)
その中での責任を認めてもらえる判決は
どこかに気持ちを向けられるという意味で少し気持ちが楽になったんじゃないかと。
ただ、ソ連の責任については今後どうなるのか気になるところ。
(最近もロシアがらみの撃墜事件があったりもしていますが。)

・ソ連との調整
サハリンにも祈りの碑が設置されるとのこと。
5,6年前に岡井さんと一緒に訪れたあの場所。
今でも残っているだろうけどもう一度いろいろ知った後に訪れたい。

(資料)サハリン・樺太 死没者塔婆供養申込書


48号(実質50号)平成元年1989年12月5日
・サハリンへ訪問記録
当時の救援活動された方たちへの聞き取りも「遺体や遺品は無かった」と。
島民への直接の対話の中での言葉ではあるが、
どうしてもいろんなことを勘ぐってしまうのも仕方がない。
ほんとに何を信じていいか分からない中、
何か確かなものや、遺族としての絶望の中の希望を求めてしまうのは当然なので。

・「海ざくろ」の進呈。
今でも稚内市長室に置かれている(と思う)岡井さんの作品。
このタイミングで作られた作品だったのかと。

・サハリンの慰霊碑の様子
5,6年前の時とはだいぶ雰囲気が違うような。
住宅街のはずれのようなところだったろうな気がするが、
このころよりもサハリンは開発が進んでいるということだろうか。

・サハリンの人たちの配慮
個人一人ひとりはいい人たち。特にこういうことであれば。
国や組織など集団になると難しいことになっていく。

そして、ソ連崩壊の予感はこんなところでも感じられているようで。