大韓航空機撃墜事件から35年を経て⑤
書き溜めてないせいで、不定期更新なうえに、章立てが分からんくなってきました。
また編集が必要になったときに整理します。
あと、「ですます、である、が混ざってる」と言われ続けた私ですが、書く日によって文体のテンションが全然違いますねw
(前回のお話はこちら)
さてさて、ぐっちです。
今日は私自身の中退話をしていきます。
私が高校(高専)を辞めた理由は、統計的に言うならば
「学校生活・学業不適応」
というところに分類されるんだろうなと思います。
いやー、周りみんな賢すぎたもん。
ほんとに。
高校の進学先の決め方
高校進学を決めるときのこと。
私は中学校でそこそこ「良い子ちゃんしてた」ので、
高専を「推薦で受けられる」という話があり、
母親もそれいいね、という感じだったので、
高専を受験することにしました。
私は私で、
「数学・理科の点数良かった」
「土曜は学校ない(当時はまだ週5日制ではなかった)」
「朝礼終礼掃除の時間がないらしい」
「制服あるけど着ても着なくてもいいらしい」
「ちょっと変わった高校(短大がついている5年制)」
「推薦は面接」
「受験が周りよりも早く終われる」
「親もなんか知らんけど納得してる」
という都合のいい理由を並べて、つまるところ、
「ラッキー」
ぐらいな感覚で進学を決めたように思います。
まぁ、15歳ぐらいの進学に対する熱意は特別なものがない限りはそんなものですよね。
何で高校に行くのか、と真剣に考えて進学している人がどれくらいいるだろうか。
大概の人は、勉強のでき(中学内申と偏差値)で大体の受ける学校を選び、
「通いやすさ」とか「制服」とか、多少の条件的なこだわりはあれど、
「高校ぐらいは行くもんだ」
「みんな行ってるから」
ぐらいの気持ちで選択している人が大多数ではないかと思います。
私も例にもれず、適当な理由を並べて受験しに行きました。
生粋の理系たちの世界
無事に受かって入学して、と順調に進んでいくわけですが、
とはいっても「ただの15歳」だったんです、私。
特に好きなものとかのめり込むものとかも何もなかったのです。
なんとなく部活に行き、仕方がなく勉強し、スキを見て遊び、みんなとくだらないボケとツッコミを笑い飯のWボケ漫才のような感じで永遠とやってるだけでした。
ただ、高専生は違いました。
アニメ、バイク、パソコン、ファッションなどなどみんなそれぞれにちゃんと興味ある分野があって、言葉選びとか雰囲気じゃなくて確かな知識で話が展開されていく。
初めの自己紹介の時も
「本気でガンダムを作ります!」みたいな発言に、
入学直後のテンションもあるとはいえ、スタンディングオベーションぐらいの勢いで受け入れられていた様は、「ガンダム、知ってる」ぐらいの私は、あっという間にその熱のギャップを知らしめられたような気がしました。
とはいえ、雰囲気なわたしは、どこのグループともつかず離れずな感じで過ごしていたと思います。
何となくそれができるような立ち居振る舞いを身につけてきていたのです。
でも、まあそれだけ、です。
勉強が進むにつれ、その進度の速さも、内容の難しさも、そこへの興味の持てなさも、どんどん積み重ねていくことになります。
周りの同級生たちは、自分の興味や部活、遊びもやりながらその勉強にもしっかりついていくような人たちで、いつも「こうはなれんなー」と思っていました。
雰囲気だけの浅い理解では、知識をしっかり構築していく人たちについていくことができなかったのです。
(今でもこの感覚におちいるときはありますね。)
そして、1年生の時から親と「辞める」「もう少し我慢しなさい」のやり取りを2年ぐらい経て、
結局辞めていくことになりました。(確か40人クラスで5人目とかだったと思います。中退率高いですねw)
しかしこれがまた、学校にいる人たちは優秀だと全力で認めつつ、
自分自身への劣等感には結びつかなかったんです。
「私は私。理系の世界はすごかった。
でもまぁ、やることちゃんとやってたら人生何とかなっていくでしょう。
このままでは学歴中卒だから、大学ぐらいは行かないとなー。」
という感じで、高専とは別れを告げることになりました。
(「うちはうち、よそはよそ」の精神です)
父の影を追ってか追わされてか。
高専という選択肢が、何で、いつから挙がってきたのか、実は全然分からなかったんです。
ある日突然、気づいたらそこにあったというかなんというか。
確か、推薦もらえるって話も、
出願日が割と迫っていたなか、それに飛びついた形で受験したように記憶しています。
つい1年半ほど前に、事件のことや父のことなど、
これまで触れてはいけないと思って全く関心も向けず聞かなかったことを
母とゆっくり話す機会がありました。
そこで、父が高専卒だったという話が出てきました。
「あぁそれでか」
妙に腑に落ちた感覚がありました。
父と同じ道を歩んでほしかったんだなと。
高専を受けると言ったときに印象に残ってる嬉しそうな感覚はここからかと。
そんなことも知らずに辞めると言った時、母の心はどうだったんだろうか。
そして、最後まで心配をかけるキャリアを歩んでしまった。
心配しつつ、応援してくれていた母ではあるが、胸中は複雑だったんだろうなと今更ながらに思うのです。
でも、まぁ、別の意味で父と今の仕事が緩やかにつながってるんだなぁと。
今の仕事の原点には、父がいるのだなぁと思うと、少し感慨深くなるのでした。
そして、もう一つこの事件が今の仕事に大きくかかわっていることがあるのですが、それはまた続きで。
(つづく)
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