- 2023.08.19
大韓航空機撃墜事件の遺族会会報(9.1NEWS)⑬
36号(実質37号)(昭和62年8月6日)・日本での裁判の判決「日本でも裁判ができる」。どういう訴えだったのかが分からないけど。紙面の扱い的には特別大きな進展があったわけではなさそう。いろんな裁判が行われているようで、明確にそれぞれの性質も分からないので全容を掴むのは何とも難しいところですね。 ・外務省や北海道庁とのコンタクトも。並行して、真相を究明する会からの提案も。「こうあるべき」は遺族の数だ […]
36号(実質37号)(昭和62年8月6日)・日本での裁判の判決「日本でも裁判ができる」。どういう訴えだったのかが分からないけど。紙面の扱い的には特別大きな進展があったわけではなさそう。いろんな裁判が行われているようで、明確にそれぞれの性質も分からないので全容を掴むのは何とも難しいところですね。 ・外務省や北海道庁とのコンタクトも。並行して、真相を究明する会からの提案も。「こうあるべき」は遺族の数だ […]
34号(実質35号)(昭和62年6月16日)・事件5年目の慰霊祭礼文島のスコトン岬が直線距離で一番近いのか。それなら一度礼文島にも渡ってみたいなぁと。丸一日必要とのことなので、今年は難しいだろうなぁ。 ・遺品の造形を進めてみる案事件5年目(4回目)の式典ではもう2か月弱と日にちが近すぎるので、5周年の式典で初の野焼き?になるのだろうか。岡井さんが亡くなられるまでいろんな形で展開していく野焼き。慰霊 […]
32号(実質33号)-p1、p2(昭和62年4月9日)何故か「32号」がダブっていたので、実質33号ということで。 ・総会の報告遺族それぞれの思いがあって、それぞれの活動への尊重もあって。一枚岩になれると一番強くなれるだろうしそれが理想ではあるけど、それぞれの遺族の気持ちを考えるとそういう訳にもいかなくて。遺族会の苦悩が見えます。 ・サハリン行き5年目(4回目の慰霊祭)の9月1日に合わせての旅程案 […]
号外(昭和61年12月1日)・関連書籍まとめうちの家にないものも多いけど、史料として少しずつ収集もしていければと。家族の中で事件の話はほぼ無かったため、遅ればせながらたくさんの知らない知識を追っかけていきたい。この機会にネットで少しポチポチと。 ・遺族会の案内東京の遺族会は阿佐ヶ谷で長らく行われていたようです。何の因果か私も会社員時代に住んでいた街が阿佐ヶ谷。阿佐ヶ谷の街を選んだのも、何となくの影 […]
29号(昭和61年6月6日)・裁判の内容>アメリカ側は警告の義務はなかった=責任はない>大韓航空側は過失はない=責任はない。ソ連のせい。大事過ぎて責任を認めるわけにはいかない組織の事情は分かるけど、遺族としては溜飲を下げる場所を何年経っても見つけられない辛さが乗っかってくるんだなぁ。 ・平和の日も平和マラソンも今まで続いている感じ今日まで平和の日の式典を続けてくださっている稚内市に感謝しつつ。・日 […]
25号・祈りの塔、除幕 いつも見ている像に見える。けど、完成数年で頭の部分のデザインを変えたという話も聞いたことがあるので、どっちなんだろうか。・最北端平和マラソン このころからあったのね。数年前に毎年ご一緒している遺族会の方がスターターのお役目をされてたとき、新しいものだと思っていましたが、事件から2年目で行われていたんですね。コースの長さが独特。印象を残すには有効だと思いつつ。・祈りの塔が作ら […]
22号・裁判の様子(第4回口頭弁論とアメリカの弁護士との会合) 日本で裁判をする遺族と、アメリカで裁判する遺族と。どういう違いがあったんだろうか。・遺体・遺品返還の署名(39,669名分) アナログで署名を集めていかないといけない時代の4万は今とは重みが違いそうだ。・「真相を究明する会」が遺族会とは別団体として動いている 国会議員さんが動いてくれており、新しい資料も出てきているとのこと 当時の資料 […]
19号・日本での裁判もアメリカでの裁判も それぞれの遺族ごとに進んでいるようです・事件から1年9か月。祈りの塔の起工式が予定され、碑文の文面も遺族会内で募集されました。・遺品返還に2日間で街頭で1600名の署名。遺体や遺品を返してもらいたいという気持ちは、亡くなった方のものを少しでも遺族のもとで一緒にという気持ちもあったことでしょう。しかし、遺体や遺品がないという事は、死亡を実感したり諦めのきっか […]
事件から1年と5か月前後の様子です。 14号・裁判が始まりましたのお話(第1回口頭弁論)・アメリカはアメリカで裁判が進んでいる。・事務局の移転・会費の変更。必要な費用は必要だわな・事故1年半で慰霊碑の建設と募金祈りの塔、塔だけ7,500万かかっているんですね。今でも宗谷岬のモニュメントの後ろの丘にありますので、ぜひ。私は、稚内に行ったときは毎回訪れています。 15号・責任逃れのムーブと抗議活動の電 […]
事件が起こった1983年9月1日から1年以内の会報誌は第13号までです。 第12号の「大韓航空の説明会に社長が出席するのか・回答は得られるのか」ここまでの説明会に出席されていなかった社長からの直接の説明を望んでいます。総理への陳情の話も含め、国内外で動きが活発になっていっています。 第13号は「遺族会としての大きな動きが3つ」・まずは前号でもあった「祈りの塔」建設について「祈りの塔」https:/ […]