高校中退向けの塾の現状

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高校生年代の「不登校」や「高校中退」の次の一歩として、一昔前までは「フリースクール」をはじめ、「予備校」や元々知り合いだった「地元の塾」など、それぞれの関係性や情報の中で次の一歩を模索するような流れでした。私自身も高校中退(正確に言うと高専)であったので、うちの塾もそんな1つの選択肢として「高校中退者のフォロー」をメインにと立ち上げました。

話がややこしくなりすぎないようにここでは、うちのように塾の形を取っていても「不登校生や高校中退者のフォローをするところ」を広義の「フリースクール」として話を進めていきます。
とはいえ、今や大手予備校や個別指導塾、地域の無料塾、行政主導の学習支援事業など、不登校を受け入れるところもその形態はかなり多岐に渡っています。また、通信制高校と言ってもその設立、理念、手法がそれぞれ過ぎて、こちらも一括りにはしにくいところもあります。ここでは大きな流れを摑むことを目的に、それらの細かな違いは置いておいて、基本的には「(公的な意味での)学校」と「(私的な意味での)フリースクール」という表現で進めます。

主流となった通信制高校

高校中退者の次の一歩を考えた時、世の中的には「通信制高校」がかなり一般化したと言って良いと思われます。高卒認定だけに留まらず、不登校全体を含めた「とりあえずの第一選択肢」という地位を確固たるものにしたと言っても良いでしょう。

体感的には2020年のコロナの影響がターニングポイントだと感じています。
全日制学校でオンライン授業などの模索が行われ、先生方がオンラインで授業することを体験し、その結果として通信制高校というシステムへの理解が進んだのだと思います。それが分かったことによって、先生方が「不登校の子たちの選択肢として通信制高校なんてものがあるんだとしたらありだ」という感覚が広がっていったのでしょう。
通信制高校にはフリースクールでは獲得できない「高卒(学歴)」があり、「高校生」という属性も付与されます。「高卒ぐらい取っとかないと」という学歴の安心感に加えて、「高校生」という属性の鎧も「高校には行っていない」から派生するその他の面倒ごとを全て防いでくれます。これは世の中の印象値として、高卒認定試験による「高認資格」「高卒(資格)」ではたどり着けない価値があります。
そういった流れに乗って、一気に不登校・中退者対応のメインストリームの座を奪っていきました。
(高校中退者のサポート者としてのポジショントークで“奪っていった”と書きましたが、個人的には「フリースクール」の良さはもちろん、「通信制高校」の必要性も認めています。通信制高校でうまく行かない人がいるのと同様にフリースクールでうまく行かない人もいます。だからこそ高卒認定の良さを全無視しての、今の「通信制に行きさえすれば大丈夫」「通信は誰でも卒業できる」という風潮の危うさも感じています。)

通信制高校という存在は、今では高校生年代の人たちだけではなく、中学生の不登校生徒やその保護者にとっても「中学行けなくても、通信制高校があるから、高卒にはなれるだろう」というある種の安心感をもたらす存在になっています。

通信制高校がここまで一般化する前までは、不登校・高校中退への対応と言えば民間のフリースクールさんが、それぞれの想いを持って独自で行われていた活動に参加するというものでした。その歴史は不登校が登校拒否と呼ばれるさらに前からあり、日本の話に限っても「フリースクール」という言葉、活動は40年以上の歴史があります。
そんなフリースクールですが、この通信制高校1強の時代においては、フリースクールの在り方を大きく変更せざるを得ない状況に立たされています。

端的に言うと、単立のフリースクールでは成り立たなくなった、ということです。

高校生年代が通えるいろんなフリースクールさんの在り方は、主に以下の2つの対応を強いられているところがほとんどなのではないでしょうか。

  • ①そもそも高校生対象のコースを廃止する
    高校生が集まりにくくなったことと不登校が低年齢化していることから、高校生向けのプログラムを廃止して、そのリソースを小学校低学年向けのプログラムに変更する対応
  • ②高卒学歴の威光を借りて存続する
    通信制高校のサポート校や技能連携校となって、活動の継続を模索する対応

①はフリースクールとして歴史や実績のある団体さんなど幅広い学年に対応できるところに見られる動きで、大体の団体さんは②の動きをされているように思います。そして、中学生向けのフリースクールが学校の出席扱いにして、そのままブリッジしていく導線があるところが多そうです。
ただ、②として安定運営していた団体さんが高校生年代の廃止してフリースクールの活動自体を縮小したといった話も聞きますので、②になればすべてが安泰!、これで活動が存続できるので良いじゃないか!という訳でもないとは思います。
このあとの話にもつながりますが、この「通信制高校のサポート校として」というのはいろんな歴史を乗り越えてこられたフリースクールさんとしてはいろんな思いを抱きつつ、ということになるのかなと想像しています。

ちなみに、うちはもともと「大きなものに頼らず、1団体として存続できる道を探す」という方針で「高校中退者のフォロー」を進めていましたので、①も②もどちらの方向も取っていません。単立で存続する道を模索しておりますが、これがなかなかに修羅の道です。特にうちは、いろんな事情でメインの兵庫県西宮の校舎を閉じ、奈良市だけとしましたが、その奈良市を立ち上げたタイミングがまさに2020年のコロナの時期であったため一層厳しい状況です。そのような流れですので、単立での難しさを直に感じながら奈良校も細々と7年目に突入しています。

こちらの記事でも語っていますが、通信制高校を卒業できなかった人が高卒認定試験でのリカバリーに繋がっていないことをみると、この領域はどうにかアプローチしないとと思う一方、その難しさに戦慄しているというのが正直なところです。また、通信制高校卒業者の進路未決定率の高さも気になりますが、こちらは外部からは手が出しにくいところです。いずれにしても、何か仕組みを用意すれば万事解決、的な話ではなく、一人ひとり向き合いながら少しずつということになるのでしょうが、そのコストを誰が被るのか、は悩みどころです。

運営のための資金の難しさ

さて、高校中退向けの塾に限らず、すべての組織が活動を続けるためにはお金が必要です。
「フリースクールには補助金がおりている」とか「これだけ不登校が増えるとさぞ儲かっているのでしょう」などと言われることもありますが、そういった団体にストレートに補助金がおりることはありません。
各団体がさまざま工夫して官民いろんな助成金に応募して採択されたり、フリースクールも運営している団体が別の形で行政の委託事業を受けたりということはありますので、その一部が全部、イメージとして公金がおりているように思われることに繋がっているのだと思います。

「本来学校がやるはずのことをやってるんだから、税金回してもらわないと」とアドバイス?をもらったりもするのですが、「フリースクール」に役所が正面から支援することは難しいです。この難しさは「公と民の立ち位置」と「運営のポリシー」の問題だと思われます。

1.公と民の立ち位置

「公」とは行政、役所など税金など市民・国民から集めたお金を原資に社会全体の利益を目指して動きます。「官」とも言われます。一方、「民」とは「民間」のことで、市民が自由に活動する場のことで、自分たちで活動の原資を集めなくてはなりません。
この関係を見ると、先ほどの「本来学校がやるはずのことをやってるんだから、税金回してもらわないと」の意味もよりクリアに見えてきます。本来「教育を受けさせる義務」が国民にあるのだから、学校に行っていない子供たちの教育をしているところは「公」として支えるべきだとする考え方です。

ですが、「公」が「民」であるフリースクールに直接サポートするのは厳しいと言われています。それは、日本が法治国家であり、憲法にそのような記述があるからです。

>第89条(公の財産の支出又は利用の制限)
 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

「公の支配に属しない教育の事業=民間のフリースクール」であって、「公金その他の公の財産を支出してはならない」と書かれているので、フリースクールに公金を使ってはいけないということになります。
そのためだと思いますが、フリースクールへ直接補助をしている自治体はありません。

しかし、フリースクールなどへの利用助成という形で、本人や保護者に対しての補助が公的制度として始まっている地方自治体もあります。東京都は都としてやっていますし、他の道府県は全体ではなく市町村レベルで対応しているところもある、といった感じです。
ちなみに、奈良県は「広陵町」が月に20,000円を上限に補助を出す制度があります。奈良市ではそういった補助ではなく、公設のフリースクールを設置する対応を取っています。

もちろん、そういった家庭への利用助成という形があることは家庭としてはとても助かると思います。さらに長期化したり兄弟そろってとなると、少しでも家庭に余裕を持ってもらいたいという気持ちも強くあります。しかしその反面、先の憲法の条文「その利用に供してはならない」とも書かれているため、家庭への補助金がフリースクール利用のために使われるのであれば、「利用に供した」ことにはならないのだろうかと、法解釈の問題でモヤっとしてしまうのも事実です。
(とはいえ、正論としての「憲法から変えるべき」という話はあるにして、現実としてはそれでは時間もかかり過ぎるので、今目の前の子供たちに対して、と思うと家庭に補助する形が落としどころとするしかないということも理解はできます。)

そんなことをいろいろ考えると、奈良市のように公設公営のフリースクールは公金の使い道としては全く問題ない形になりますが、公である学校に行けなかったものを公が用意したところに行けるのかといった別の問題が出てきます。それであればと、大阪府池田市には公設民営のフリースクール(NPO法人トイボックス運営)の取り組みもあります。

2.運営のポリシー

私もこのフリースクール界隈に飛び込んで14年ほどになりますが、歴史が長いフリースクールさんをはじめ、学校教育に対してのいろんな思いを持ちながら活動されていた方々と出会ってきました。

フリースクールに対してのいろんな思いが見えたのは、「教育機会確保法」の検討段階で交わされた議論の変遷でした。その中で、フリースクールへの運営資金についての話の中で、「教育機会が確保されるために公金が使われるとして、それを受け取るために国が決めた基準に従わなければならないのであれば、フリースクールとしてのそもそもの存在意義に関わる」といった内容がありました。
国が決めた基準に従うことは、先の憲法89条の「公の支配に属さない」をクリアすることにはなりますが、その一方で、フリースクールが掲げていた「児童中心主義+公教育への異議」などがどこまで守られるのかという心配も上がっていたように思います。

現在では「学校復帰をゴールとしない」という考えが、文科省の方針も含め一般的な考えだと受け取られているために、そうなる前の時代とはかなり雰囲気は変わりました。なので、フリースクール側が公教育に対して強い意思で構え続けるような感じでもなくなってきています。
そう言った流れもあるのか、「自分たちの活動の信念は曲げられない!」というタイプから、「運営資金を得られるなら、公の支配に属するのもあり」とか、「目の前の子供たちのために動くのなら、公の支配に属するのも仕方がない」といった感覚の人たちが増えているんじゃないかと思います。

実際、「通信制高校のサポート校になる」というのはある種「公」の決めた学校のルールに従うことの一役買うことになっているわけですし、「学校復帰を前提としない」のであれば、公に協力していくこともやぶさかではないのかもしれません。
そう言ったことも含めて、高校生年代のフリースクールの生き残りのための落としどころとしてサポート校が広がったのでしょう。

  1. 本人や保護者のニーズとして高い「高校生」「高卒学歴」を満たせるようにすることで利用者が獲得できる。
  2. 技能連携校などほぼ高校に行かない(フリースクールに通うだけ)で良いなら、レポートやテストなどはあれど、ほぼフリースクールとしての理念、活動を続けられるようなサポート校になる。

また、「公」においても、フリースクール出席を学校の出席扱いにする取り組みをはじめ、その地域のフリースクールなどを紹介する動きもかなり広がってきており、「不登校」の相談会や通信制高校の紹介イベントなどを行う自治体も出てきています。
(うちは出席扱いだけではなく、特殊な事情で高校の教科単位の認定を受けたこともありますが、ここまではさすがに学校側も“特例”で済ませたい譲れないラインであると思います。)

このような流れで、「公」と「民」の協力体制はますます多く展開され、昔の対立関係からは目に見えて変わってきているように思います。もしかすると、その先には「公の支配(基準)に属しつつ、活動資金を補助してもらう」ような関係も見えてくるかもしれません。

公金をどこにかけるのか、はとても難しい

とはいえ、すでに通信制高校は高校無償化の流れを受けて、公金が注がれているわけですし、「通信制高校+サポート校」の形がかなり広く展開されているのを見ると、サポート校(フリースクール)に補助金を出すというのはかなりハードルが高いでしょう。なぜなら、構造としては「全日制高校+予備校」の予備校の学費を補助するような形になってしまっているからです。
さらに、これまでのフリースクールだけでは高校生年代が集まってこないという現実を考えると、ほぼ通信制高校には属しているのだろうと推測できます。それであれば、無償化による通信制高校の学費軽減で手打ちということは十分考えられます。
また、「高校生年代まで成長すれば、ある程度任せられる部分も出てきて、少し楽になる」というご家庭も増えてくると思います。(もちろん補助があった方がありがたいということはあるとして。)

ですが、もう少し深く見ると、不登校の低年齢化によって小学校から中学生と長期化するフリースクールの費用や、その間は保護者が仕事をセーブして面倒を見ないといけないこと、先に触れた不登校のきょうだい児問題など高校生にたどり着くまでの負担はとても大きいです。ここでかなり削られてしまっているからそこの部分を手当していかないとという気持ちにもなります。

が、まずは小学校や中学校年代の不登校のサポートを考えて行く必要があると思います。
ここは「通信制高校」のような枠組みもないために、「小学校・中学校」と「フリースクール」と完全に別枠です。出席扱いになるように報告がなされるぐらいの関係であることがほとんどです。「公の支配に属し」ているとは到底言えない状況です。そのあたりをどう考えて、歩み寄っていけるのか・・・。このあたりの話は「高校中退向けの塾」という話からは外れてしまうので一旦ここまでにします。
とはいえ、不登校やフリースクールを考える上ではとても大事な部分なので、引き続き考えて行きたいと思います。

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