私、大韓航空機撃墜事件の遺族としてお話させていただける機会があるのですが、大韓航空機撃墜事件は「冷戦下」の事件で戦闘機のミサイルで犠牲になって事件です(詳細は↓)。そのため、広い意味では戦争被害者の遺族と言えると思いますし、平和教育の一端に関わっているとも思っています。
お話しているときに思うのは、“遺族”として話すのは特殊な立ち位置だということです。普段の授業などで話をするときは1教員な訳ですが、“遺族”であると授業の雰囲気が変わります。
これは、“遺族”という特別な立場であるから出せる雰囲気だと思います。この雰囲気の中では授業に集中して向かっている人の割合が普段の3~4倍あるように感じています。もちろん、優秀な1教員であれば「導入」という名のつかみから、50分なり90分なりの授業の組み立てで同じような割合で授業に向かわせることができるのでしょうが、当人比で、普通の授業と“遺族”の授業を比べた場合の肌感覚はそんな感じです。
平和教育の語り部の特別感について
さて、この“特別感”はどこから出てくるのでしょう。
(1)1度きりのゲストという特別感
もちろん、ゲストとしてその時だけ1回きりの授業なのでその特別感はあるでしょう。しかし、私も大学などでゲストスピーカーとしてお話する機会はありますが、そのときよりもかなり強い影響があると感じています。ともあれ、1回きりのゲストというのは様々な場面で特別感を増す1つの因子とは言えそうです。
(2)既知であり大切にされているテーマであることの特別感
また、稚内市では事件当日を「子育て平和の日」と定めて、日常の授業で事件のことについて扱ったり、平和について考える時間を取ってくれていることも特別感を増す因子であると思います。
知っていること・親しみのあるものへの関心や探求心がその効果をもたらしていると考えられます。もちろん事前の知識が無いとこの効果は発揮されないですが、逆に、先の「特別なゲスト」を定期的に重ねることでその相乗効果も期待できるでしょう(今回は2020年から最多の学校で7回目)。
いずれにしても、程度はどうあれ「知っている」「聞いたことがある」など既知・周知であること、またそのことを大事にしているもの(稚内市の場合は市を挙げての取り組み)があるということは、特別感を増す2つ目の因子と捉えることはできそうです。
ただ、例えば関西で非常勤講師として担当している15コマのうちの1コマ、そのテーマで話をするときも同じように“特別感”があり、授業への集中割合は増します。1回きりの授業ではなく、関西という大韓航空機撃墜事件とは縁の薄い地域の学生たち相手にも同じような効果があるということです。
この特別感はどこから来るのでしょうか。
(3)心情に訴えかける特別感
端的にいうと、その特別感は「事件」や「死」に附随する「恐怖」、死や時間など自分にはどうしようもないものに対する「畏怖」、事件そのものの「衝撃」、そういった話を聞くことによって生じる様々な「不安」などによってもたらされていると考えます。その「死」や「恐怖」、「不安」などを抱え続けて生きてきた“遺族”という立場への「配慮」なんかもあるかもしれません。いずれにしても“特別感”の中核はここにあると考えています。
そして、この「恐怖や不安などをベースにした動機付け」は長らく日本の平和教育の中心であったと言っても良いと思います。広島や長崎、沖縄などを中心に行われていた語り部活動などもそのようなものの上にあるものでしょう。私が受けた数十年前の平和教育でも、いかに悲惨で、いかに悲しく苦しいものを生み、そうであるからこそ同じようなことを繰り返さない決意を抱かせる。といったようなパンドラの箱を開けるような教育の在り方だったように記憶しています。
確かに「恐怖や不安をベースにした平和教育」は効果があります。しかし、時代が大きく変わった現在において、この方向にはいくつかの難しさも顕在化しています。
1.語り部の少なさ
平和教育の文脈で、「当事者体験の伝承」で一番に問題になるのは、語り部の継承問題です。2026年で戦後81年。終戦時0歳でも81歳。記憶などを考慮して当時12歳ぐらいであれば93歳。語り部活動を続けられている方はかなり少ないでしょう。
大韓航空機撃墜事件からも43年が経ちました。81年と比べるとその年月は半分くらいですが、それでも遺族会が「会」と名乗れるような動きはなかなかできなくなってきています。事件で子供を失った世代をはじめ、その時に壮年期以上の年齢にあった方々は皆さん亡くなられていたり、体調を崩されていたり、あるいは様々な感情や考えの中で諦められたり、距離を取ったりされています。そんな中で「陶芸を通じて事件を伝えていた」岡井さんや、「式典や祈りの塔など土台をしっかり残すための細やかな活動を続けている」川名さんなどの背中を見て、私は教育者として「教育を通じて事件を伝えていく」という形を取っています。このように現在の遺族会は、「個人でできることをそれぞれが会としてやる」という形が精いっぱいな状況です。
2020年8月29日に岡井さんが亡くなられ、何の因果か、ちょうど私が稚内市の小学校で平和講演を1回目を実施できたのがその年の11月でした。事件を語る灯を絶やさず受け取れた思いで、以来毎年稚内市での平和講演を続けることが出来ています。
一方で、事件当時私が2歳。多分直接の遺族としては最年少だと思います。最年少であるということは、事件のことを語り継ぐ、その継ぐ遺族がいないということに他なりません。事件をどのように伝えていくのか、その持続性を考えるようになりました。
「体験の伝承」と「体験談の伝承」では、この特別感にどれほどの影響があるでしょうか。
また、「当事者」であれば「1当事者として感じた、考えた事実」は揺るがないものであるが、「当事者ではなく記憶の伝承者としての考え」はどのように受け取られるのでしょうか。
そのような心配の一方で、「体験談の伝承者としての考え」は答えのない問いを考える際には、口火を切る1意見として良い方向に進められる可能性もあります。
このあたりは、戦争の平和教育の中で研究が進められているものだと思いますので、私自身もそのあたりの論文などで勉強を続けられればと考えています。また、そういったことも含めて、大韓航空機撃墜事件ではそれらの違いを実際に比較検証することもまだできますので、研究してみたいと思っています。
2.教育方針の変化
現在の教育では、「学習者それぞれの個性や状態に合わせた学び:個別最適化」を進める一方で、グループワークなどのみんなで意見を出し合って議論を進める「協働を通した学び」も大事にされています。さまざまな分野でボーダレスの流れがあり、学校教育も「学年」「校種」の制度に関わることや「教える側(教員)/教えられる側(生徒)」「学校/地域」の関係におけるボーダー(境界)もどんどん溶けていっています。
また、「教員」という立場の特別感も、保護者の高学歴化や情報社会による学校や教員のあらゆる部分の可視化によってかなり薄れていると言っていいでしょう。
結果、今のことは露わにされる一方で未来の見えない社会の中で、先生という船頭が薄らいでいき、目に見える学習内容や活動成果を自力で追ったり、追えているように見せれたりする子たちが輝くような環境になっていこうとしています。目に見えにくいことやコストのかかる成果の価値は二の次になってしまっている印象です。
もちろん、そういう流れになってきているのは、情報社会の到来でこれまでの価値観が変化していっていることもあるでしょう。また、学校教員や学校制度自体がその権威の笠の下で変化に踏み出せていなかったことも影響があるのかもしれません。
いずれにしても、教育や社会全体がそういった方針・方向に動いているなかでは、「恐怖や不安をベースにした学び」は非常に相性が悪いです。特別感を作るはずの「死」や「悲惨さ」について考えることは、「辛い」「話も聞きたくない」という感情を引き起こします。その感情に「学習者の個性や状態」を合わせと、学習者の忌避感を尊重する方向に動きます。
もちろん、そうなった以上はその個人の心理的な配慮が必要となり、その結果の退出=機会の喪失へとつながります。その後、学習者個人が「これは大切なことだから頑張って向き合おう」と思って再入室することを私は大学生向けの授業で何度か経験しています(むしろそういった子の学びの大きさに驚かされるぐらいです)が、今日の流れでは「生徒が嫌がる可能性のある内容はできるだけ避けるのが無難」「クレームが入ったら面倒なことになる」といった判断でそういった機会を丸ごと無くしてしまうこともあり得る話だと思っています。
こうなってくると、「論理的に正しそう」であれば「正」として採用し、少しでもリスクのあるものは避けるのが賢明とされるでしょう。そして複雑な論理では多くの人を巻き込むことは難しいため、「分かりやすい答えがなく、むしろ答えのないことを考えることの意味」とか「悲観や最悪、絶望をイメージした、その向こう側にあるものの価値」などの価値を感じられる人は少なくなっていくかもしれません。そうなると、教育はどんどん薄っぺらいものになっていかざるを得ないでしょう。今目の前に見えているもの以外の価値を感じられない学習者側(も先生側も)が増えてくると、見えない部分への教育の機会は激減し、内容を受け取りにくくなってくるどころか、価値が無いため受け取らなくてもいいと思ってしまうでしょう。(こうなってくると、学校とは何か、先生とは何か、という根源的な問いと向き合わないと、生成AIで代用できるよねという分かりやすいセンセーショナルな結論に導かれていく可能性が上がりますが、これはまた別の話。)
ともあれ、社会全体がどんどんそういった状態に進んでいっているように見える中で、学習者の「主体性」や、学習者の「主体性の代弁者」から語られることに迎合することは、教育において、人間的成長において大事な部分がますます欠損してしまうように感じられます。なんせ、「しんどい」「嫌だ」と感じた主体の「考え」に基づいて行動しなければならないのですから。
例えば、「勉強するのが嫌」だと感じている生徒がいるが、「嫌」なことはやらないでも良い、「嫌なことをやらせるなんてハラスメントだ」、という話をそのまま受け止めるようなことです。ここで、いかにその生徒にとって勉強が必要なことなのかをコストをかけて納得までもっていきたいところですが、このコストがかけられなくなっているのが現代です。そのため「やらせる」-「形だけやる」のような目の前の目的に一直線な対応しかお互いできなくなってしまいます。
またそういった状態になると、「自分に必要だ」「自分は大事だ・価値があると思う」「しんどそうだけどやってみよう」などという気持ちになった者だけがそういった見えない価値に向かえるということになります。そして、そう思えなかった人たちは一層目に見えることだけをそれなりに形作ること以外は何も見ようとはしない状態となるでしょう。
そうなると、どういうことが起こるでしょうか。
情報社会になり、情報の価値が均質でほぼゼロコストのものになった結果、これまでの「環境による仕方がなく(自分以外の要因で)発生していた格差」として語られていたものが、「同じ環境の中で受け取らなかった自己責任による(自分自身が要因の)格差に変わっていくように思えます。キリスト教など宗教的、体系的な信条に支えられておらず、「無宗教」と揶揄されるぐらいの日本において、また、人付き合いや社会集団をコストでしかないと削られていっている日本において「自己責任・自業自得としての困窮」をどのように対応するでしょうか。そして、みんなが「今だけ」「ここだけ」「自分だけ」を優先するその先にどんな社会が待っているのでしょうか。
3.その一瞬だけの関わり
「人生において1度だけ」とか「数年に1回」とか、その1回、その瞬間に人生が変わるということもあるかもしれません。しかし、講演の中でそれを狙ってできるものではないし、仮にいたとしてもその人数は少ないでしょうし、再現性はかなり低いでしょう。
「人生が変わった」ほどではなくても、「大事なことだからゆっくり考えていきたい」「今日から少し生き方を、行動を変えてみよう」と受け取ってくれる人はもう少し多くいるかもしれません。しかし、この情報とタスクが溢れる社会で、その思いはどれほど長く持つものでしょうか。大方は「数カ月もすればすっかり元通り」ということになるかと思われます。
余談ですが、20年以上前に高校生たちと海外に一緒に行き、海外のNGOと一緒に現地の活動に参加するワークキャンプを企画・実施していたことがあります。海外にいる期間は1週間から2週間程度でしたが、現地で高校生たちが明るく元気になったりいろんなことを考えられるようになったりと目覚ましい変化を見ていきました。帰国後半年して振り返りの研修を行った際に、ほとんどが元の雰囲気に戻っていたことを思い出します。
そういう意味でも、私が講演の演者として一瞬関わることで、学生生徒児童の人生が変わることはないでしょう。私の関わりは、投じられた一石のようなものでしかありません。そこで大事になってくるのが、日常的にその子たちに関わっている保護者や教育関係者など地域の大人たちに他なりません。
必要なのは「非日常としての平和講演」と「日常における平和学習」の両輪
遺族として語る内容は、どうしても「被害者側の立場」のポジショントーク的なニュアンスになってしまいます。それはそれで、論理的に“やさしい”世界の中では必要な刺激となるかもしれません。でもそれは、あくまで劇薬としての一石です。だからこそ日常的には「平和をポジティブに追う」平和教育を、学校の先生や保護者の方々に担っていただかなくてはなりません。
「ポジティブに平和を追求する日常的な大人と子供の関わり」と「ネガティブな話題を語るその時限りのゲスト、遺族の講演」。この両輪をイメージしながら、いろんな角度で、世界の平和、社会の平和から、人間理解まで、自分の考えを深めて成長できる機会を作っていけたらと思っています。
絶対的な唯一の正解がない問いです。いろんな人が、いろんな思いで(もちろん、社会のこと、目の前の児童生徒の成長。を思って)、それぞれの立場で、平和を考えることはとても大事です。そのような機会を持ちつつ、大きな時間の中で少しずつ生きる意味、命の意味を受け取りながら、平和へと紡いでいく人の業があれば、平和な社会につながっていくのではないかと考えています。
それぞれの能力や立場で、目の前の人との間の平和、近くにいる人の中の平和、自分自身の中の平和、地域社会、日本、世界。その時その時にできる平和をつなげていけばいいんだろうと思います。
結局、平和を紡ぐのは、一人ひとりの市民。そのなんてことない日常の交わりであって、それらを紡ぐ行為がある日常を平和と呼ぶんだろうと感じています。
さて、そうなると遺族としての講演内容はもちろんのこと、日々とても忙しくされている先生方や保護者、また地域の方々に「日常的に平和に思いを馳せる」ための動きを考えなくてはなりません。具体的にどのタイミングで、どんな手順、手法で進めていけるのか、また自然に日常に溶け込むには何が必要なのか、などなど考えることはたくさんありそうです。