「棲み分け」って難しいんだろうなぁといつも思う。
棲み分けとか区別するという話になると、例えば
・性犯罪者がDBS的なもので子どもと接する職業に制限が付くし、
・依存症患者はアルコールや薬物、ギャンブルを完全に断つし、
どんだけ意識を新たにしても、一回味を知ったり、脳の癖は完全に取り除くのが不可能に近い。魔が差すとかもあるし、一度魔が差すともう止められない。
だから、そっちに引き込まれないようにリスクを遠ざける(完全に分ける)方向で対応していく。
日本版DBSは、こども性暴力防止法の、子どもと接する業務に就く人について、採用側が性犯罪歴の有無を確認することを義務付ける(または推奨する)制度のこと。2024年に成立して、2026年から施行される。
そう考えると、
ブレイキングダウンは、
・アウトロー自慢が、「暴力」「暴言・煽り」などその近接領域(というか被ってたりする)で活動する
・試合になるとある程度ルールはあるんだろうが、それとは別に会見とかの感じはノールール(に見える)で、手を出してもOKな空気の中、撮影が進んでいく
・アウトローな振る舞いであると同時に、世の中から称賛を浴びて利益が得られるとなると、
興行的なノリと、普通の暴力(日常)の区別をつけるのは難しくなっていくだろうなと。
そもそもアウトロー的な振る舞いが良いことなのか悪いことなのか、
というか悪い振る舞い、極端な振る舞いの方がウケるわけだからエスカレートするだろうし、
そうなると、犯罪との線引きはどこなのかとかぐちゃぐちゃになってしまうだろうから、
余程「日常とは別物」と区別して思い込んでいたとして、そのステージに関わる期間が長くなるほどブレーキ壊れてもおかしくないように思える。
「エンタメとして明文化されていないところを攻めている」
という運営者側の視点は分かるし、上手いなと思わないでもないのだが、
「書いてないなら何してもいい」みたいな民度なのが良いのかどうか。
まぁ今の世の中、「書いてないなら何してもいい」「書いたら何してもいい」みたいな息苦しい社会なので、スタンダードではあるだろうけど。(たまにアプリでもすごい内容の「同意」を求めてるものもあったりする)
善意・やさしさ・配慮みたいなものがある社会を求めるのはもう甘ちゃんなんだろうかねー。