想いと呪い

ひとの成長, 人間関係のこと, 心の健康のこと, 怖い話, 幸せ

こないだ、想いが深いこと(恋愛とか)でごたごたすると、心のしんどさが身体に影響出るよねー、体質変わったりするよねー。みたいな話をしていました。
みなさんはあまり1つのことにどっしり考え込みすぎたこと・思い悩みすぎたことはないでしょうか。

さてさてぐっちです。
私は基本的に考えすぎるし、深読みすぎるし。おかげで?考え続ける思考の体力は人よりあると思うのですが、この人、乗りこなせる日は来るのだろうかと思えるほどぐるぐるしています。いまだに思春期なんでしょうか。

想いは身体に変化をもたらすか

とある人が、「自分はそんなこと関係ないと思ってたけど、それ系ののしんどさきっかけで体壊して病気になっている」という話をしていました。
そしたら、別の人が「自分のこの病気ももしかしたらその辺のときのしんどさによるものかもしれへんなぁ。確かに。」と言ってました。
まぁ確かに、いろんな病気のことググったら「ストレス」という文字が山ほどみるので、これはその通りなのかもしれませんね。

で、今日考えたいのは、本気の想いは祝福にも呪詛にもなる。という話。
まず、言葉としては
・祝福(しゅくふく):相手の幸せを願うこと
・呪詛(じゅそ):相手の不幸を願うこと
という意味で使いますね。

ということで、今回の基本的な考えは、「ストレス」という言葉を、「自分の想い」から見てみる試みですね。

祝福になるとき・呪詛になるとき

まずはもっとも分かりやすいところから。
もともとの願いが、祝福なのか、呪詛なのか。
これは分かりやすいですね。
もともとが祝福だったら祝福だろうし、呪詛だったら呪詛だし。

そして、もう一つは、想いが成就されなかったとき。
多分この時は、全て呪詛となって想いを持ってた人に返ってくる。祝福も呪詛となって戻ってくるし、呪詛はより強い呪詛となって戻ってきます。

想いの強さはストレスの強さ

本気の想いで、祝福も呪詛も変わってくるケースをいろんな話から見ていきましょう。

恋愛の場合

例えば、恋愛の場合を考えてみましょう。
相手を信用して、お互いにお互いの祝福のために生きていると安心してしまうと、心はもう無防備な状態です。無垢な状態と言っていいほどにノーガード。いやガードという言葉すら知らないぐらいかもしれません。この状態はきっと幸せの只中でしょう。

がしかし、ここから相手が浮気していた、とか、気持ちが変わって一緒に居れなくなる、とか、そういう気持ちが離れている類の事実を急に突き付けられた時、その事実がそのまま刺さるというか、カウンター気味にざっくりえぐられる事態になるでしょう。

この祝福は年月の積み重ねもあり、結構な強化を繰り返した想いであった場合、その反動で一体どれほどの呪詛がその人を襲うのか。恐ろしいです。
すんなり離れられるのならまだ傷は浅いかもですが、想いが深い分、なかなかそうはいられません。

昔の風習の場合

例えば、昔話の場合。
こんな話は、超有名ですよね。
丑三つ時(午前2時)に、一本下駄に白装束、頭にろうそくを指して、木に藁人形を五寸釘で打ち付ける。そうです。丑の刻参りですね。

こちらは、見られると失敗するとのことで、「見られたことに気づかれたら追いかけられる」という話とかは、その人の想いの強さによるものでしょう。見た人のせいにすべてをしてしまう感じでしょうか。
また、この儀式の効果は、そこまで思われている気持ち悪さで成就するプラシーボ効果などと言われていますね。

人に見られて呪いが成就しなければ自分に返ってくる。なんて話はここからきてるのでしょう。人を呪わば穴二つという言葉なども有名ですね。
まぁ現実には、人に見られたら噂が広がり、その場では生きていけなくなってしまう→そんなヤバいやつがこの先どうなっていくかはきっとヤバいことになるだろう。で呪詛が自分に返ってくるという話になったんでしょうけど。

さて、この丑の刻参り、京都の貴船神社が有名スポットのようですし、避暑的スポットとしても有名なので、一度訪れてみてはいかがでしょう。2つの意味で納涼ですね。

ひきこもりの場合

塾に来ている塾生もですが、新しい人生を送ることに強い想いを持っている人は少なくありません。

考えうる最も理想通りの変化に想いを馳せるために、その想いも強くなります。
できるだけ一人で、できるだけ弱みを見せず、周りが納得・称賛するような進路。
(この「言う」と「成す」の違いについては、こちらを)

なので、当然難しさは本人も理解しているので当然想いはより強くなる。
そして、ひとりで戦うのが正しいと思っているから、できなくなったときの反動も大きい。

祝福と呪詛をまとめてみた

ということでまとめてみるとこうなる。

もともと祝福 もともと呪詛
成就した場合 術者に祝福
相手に祝福
(相乗的に追加祝福も)
術者に一時的祝福
相手に呪詛
成就しなかった場合 術者に呪詛(自己否定)
相手は気づかない
術者により強い呪詛(執着)
相手は気づかない

こうやってみると、強い想いというのは、かなりのハイリスク・ハイリターンなことですね。
まぁこれを理解してるかどうかどうかで心持ちが変わるかもしれません。

呪詛を真正面から受け止めないために

引きこもりとかについては、本当はもっと人に頼って、呪詛のリスクは分散させておくほうが良いなぁと思います。
恋愛みたいなものは1対1が基本なので、他にリスクを分散させておくことはできないけど、自分の“生きる”に関わるのは、何にリスクを分散させてもOK。

むしろ、それも立派な戦略であって、ひとりで突き抜けるのと同じように重要な能力であるという認識を持ってもらえればと思います。
それは、なんか弱いような気がするかもしれませんが、人は、人間として成り立つ。人ひとりでは何事も難しいことは「人間」という言葉も教えてくれています。

1本に絞る。1人でやる。
それは想いが凝縮するので、祝福が叶うといいけど、ダメな時の呪詛も大きくなるから。
自分の想いに潰されないように、良いものも悪いものも、行けそうなものも難しそうなものも混ぜておくのが良いかもね。と思います。