「再生の道」とのことですが・・・

社会・保護者のまなざし

「何したいかわからない」石丸新党の最終的な狙い #東洋経済オンライン @Toyokeizai https://toyokeizai.net/articles/-/852992

わたしも良く分からないので、少し考えてみたいと思い、つらつらと書きながら考えてみたいと思います。

違和感の1つめ

そもそも、「政策がない」は「政党」ではないのではないかと。

政党が政策を持たないというので思い出されるのはN国党の諸派党構想。N国党が国政政党であること、政党交付金という制度を使うという画期的なアイデア。
それぞれが実現したい政策を持ち寄ってそれぞれが実現したいことをやっていく。
そのための活動資金に政党交付金を使っていく、という感じだったような。

その話だけ聞くと理想的の様ではある。が、うまくは行かなかった。
結果的には大失敗の諸派党構想。N国としてはいろんな政策があっていいが、党としての政策は「NHKをぶっ壊す」という感じだったのかな。

まぁなんにしても、そういうお話なので、まったく政策がないという意味ではN国よりひどいなと。

2つめ

1つめと繋がるところもあるのだけど、
実務能力があるかどうかだけで線引きすると、数字で採算が取れるかどうかのみで動きそう。

そういう数字で回る世界はビジネスに任せて、回らない部分を行政がやるべきだと思うんだけど、
できる人基準で全部を見て行くと、しんどくなってしまう人も多そうだけどなぁ。
(もちろん、数字が分からん人だらけってのも存分に具合は悪いが。。。
 というかそこで必要になって来るのが、どういう社会を目指していくか(=政策)だと思うんだけど)

1つめと2つめを合わせて考えると、、、
石丸さんのやりたいことを実現させるために思い通りに動いてくれる能力ある人が欲しいのかしら、と勘繰ってしまう。

3つめ

あと、熱しやすく冷めやすいデジタル社会で、
盛り上がった東京都知事選からだいぶ時間経ってるけど、
それでも人気が保ててると思ってるのか。
それとも、もう一回火を付ければすぐに燃え上がってくれるだろうとか思っているのだろうか。

このあたりにも、自己中心的な自己陶酔感を見てしまうんだけど、、、。
選挙で投票してくれる人も、政党で一緒にやろうと思ってくれる人も
全部が自分の思い通りにするとか、自分を引き立たせるとかのパーツだと思ってそうだというのは、
やはりひねくれたわたしのうがった見方なのかしら。