大韓航空機撃墜事件の遺族会会報(9.1NEWS)⑰

大韓航空機撃墜事件

45号(実質47号)(平成元年1989年6月28日)
・遺品の保管の件はニシン資料館に。
今の副港市場のところでしょうか。樺太博物館とかになっているところだろうか。今は保管もされていないと聞いていた気がするので、平成の時代で紆余曲折があるんだろうと思います。

・裁判の情報も少し。
アメリカやカナダ、日本での裁判もあり、裁判の内容もそれぞれなのでなかなか追いきれないところでしょうし、うちにも資料は残っているが、膨大かつ英語の資料がほとんどだったので読み返せる時間もなくですが。。。

・サハリンへフェリー就航など
「ペレストロイカ」のワードもあり、ソビエト崩壊への音が聞こえてきそうな文章です。ここで出てきている「鎮魂の碑」は、数年前に行かせていただいたところと同じなんだろうか。
私の10年と繋がっていくものもたくさん出てくると要約全容が少しずつ見えてくるという所でしょうか。まだまだ知識が足りないですが、いろんな資料や書籍を漁っていこうと思います。
(ツアーの詳細:ページ2・3)


46号(実質48号)(平成元年1989年7月20日)
・6回目の慰霊祭に向けて
仏教では7回忌。うちはキリスト教だからそういうのはないけど、宗教は別にして、うちの死生観がちょっと変わっているのとかも確実にこの事件の影響はあるよね。。家では父親の話も命日的な話も何にもなかったもんなぁ。大学時代に「授業では特に死生観は変わらなかった」と最後の感想で書いたら、59点で単位落としたのも良い思い出。

・サハリンとの観光フェリー便
洋上での慰霊祭も行われた。
第1便では稚内市長などが、遺族会からは後の便で6名が。