学びを2軸・4領域で考える

ひとの成長

2軸の設定

学びを分析するために、2つの軸を設定します。
1つめの軸は、論理的の強弱。論理的に矛盾のない部分(論理)と、論理を越えた不合理な部分(超論理)の軸。
もう1つは、社会にオープンになっている光の部分と、社会で隠されている影の部分の軸。

4領域の出現

それぞれの軸で4つの象限を分けてみると、
「①論理✕光」の部分は学校教育とかマスコミで扱われる情報とか、誰もが一番得やすい知識大系が個々に当てはまるでしょう。
「②論理✕影」は秘密の集まりなどで共有されている知識。どっかの家系に伝わる帝王学とか、特定の民族の間だけとか秘密結社とかに伝わる文書とか、もう少し身近なものだと、専門性の高い学問グループだとか、陰謀論をたくさん扱うグループとか、政治家が得意とする詭弁とか。
「③超論理✕光」の部分は王道の宗教が代表格ですが、オカルトや霊感商法的なものや、ビジネス界隈で聞く引き寄せの法則的なものとか。
「④超論理✕影」は、カルト的なものとか、呪術・魔術・妖術的な類のものだけど、裏の影の位置のことなので、正直私にはよく分かりません。

光が強くなると闇は濃くなる

現代は、情報革命真っただ中なので、影の部分が少しずつ露わになってきていますが、光が多くなると影が濃くなる必然がどこに向かっていくのか。
そして、影があらわになっていく1つの弊害として、光が当たる(論理的にはっきりわかる)もの以外に価値を感じれなくなっている人も多くなっているのではないでしょうか。
また、超論理を軽視する人たちも増えてきています。「大切なものは目には見えないんだよ」という言葉も目先の数字のパワーに圧倒されて吹かれて消えていきそうです。
結果として「論理に合わないものは害である」「論理に合うなら何しても良い」と言わんばかりな状況が散見される社会になっているように感じています。

学校的学びを考える

この4つの領域で、学びやすい領域とはどこでしょうか。
手の届きやすい①でしょうか。いえ、①はむしろ普通過ぎて魅力は少ないのです。
②の領域では「秘密」の共有とか「特別感」でそこに所属しているメンバーの持つ求心力は高いと言えるでしょう。
③の領域では「不可思議」の魅力や、他の人が知らないところにリーチしているという「覚醒感」によって求心力は高まります。
②も③も「優越感」がベースになっていますが、それによるその知識の希求欲があるため、その人の頭脳や能力は育っていくことでしょう。
(④は裏の闇の部分で私自身よく分かってないことだらけですので、今は割愛します)

①の学びにくさ

一方、①の領域については、既にオープンになっているものであり「知ってて当たり前」の空気すらあるものなので特別感はありません。なので、それらの知識を得たい!とやる気をくすぐるような優越感を期待することはできません。
むしろ、それらを身に付けて始めてスタートラインに立てるようなものなので、マイナスからのスタートでむしろ「劣等感」との向き合い方からスタートしなければなりません。
「知ってて当たり前」「マイナスを埋めるところからスタート」だという認識が世の中に広くあるのは、教科書的な知識やテレビで一般常識とされるような知識については、多くの人が「知っていないと恥ずかしい」「知らないことがばれてはいけない」と思い込んだ結果として「知ったかぶり」を発生させているのがその証左とも言えます。
この①の領域の地味で地道に長い時間を要する退屈な学びという難しさをどうにかするにはどうしたらよいでしょうか。(もちろん一部の好奇心旺盛な人たちの中には、この領域でも楽しんで勉強していた人たちもいたことでしょう。それは②→①という形を取ったからこそ上手くいっているのですが、それには理解ある大人の存在があったことでしょう)
昔は「権威」を使いました。「大人」「先生」の言うことは聞かねばならない、と強制力を発揮して勉強に向い合せていました。(さらにこのころの大人は③領域のお化けや妖怪、地域伝承など超論理を扱えた人も多く、その強制力は一層効果を上げたことでしょう。)
しかし、今は情報がいきわたった時代。大人の不完全さもあらゆるところで露わになっています。今も強制力によって勉強させている学校もたくさんありますが、児童生徒たちの持つ情報の多さや、その情報の表面を滑っていく生き方の前では、目の前の形を整える以上の成果はなかなか出ないでしょう。
そんな状況で①の勉強をしてもらうために使われている方法として分かりやすいのが、マイナスに向き合わなくていいように「楽しく」「分かりやすく」「効率的に」学ぶ方法を提供することです。

続く。