この世の基本。労力と成果は等価交換

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良さそうな謳い文句で踊りたい時代

世はタイパ、コスパ時代。
誰も思いつかなかったかのような一発大逆転の手があると信じすぎる時代。

と、ワンピースなのかトリコなのかのオープニングのような始まりですが、そんな少年漫画らしい夢をしょっぱなからへし折っていくように、今日は「そんなうまい話はそうそうないぞ」というお話です。

さて、『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』が話題になって久しいですが、果たして、倍速で見た動画にはどれほどの価値があるのでしょうか。

そして、同じように“効率を求めて”という文脈で思い出されるのは『高校入試中学3年分をたった7日で総復習5科』系の参考書。昔から学習参考書界隈には結構たくさんあって、かくいう私も中高生当時は「おー、これ1冊やれば○○はできるようになるんかー。こんなに薄い本でできるようになるならありやん~」なんて思い購入してみたのはいいものの、その薄ささえもやりきれなかった思い出があったりします。まぁ、やれなかった人のことは置いておいて、もしやり切ったとしたら、タイトル通りの価値があるものなのでしょうか。

倍速動画の話も、さくっと総復習系参考書の話も、「そんな都合のいい話はないぞ」という話なのですが、
勉強の話の方がイメージがしやすいので、一旦そちらで話を進めていきます。
と言っておいてその前に、その下準備として、さらに1つの例を使っていきます。

穴を掘るたとえ

例えば、1㎥分の土を掘り返すとことを考えてみましょう。
1人で掘るにはどれぐらいの労力、コストがかかるでしょうか。

①1㎥は1m×1m×1mです。体積は長さの3乗です。単位を見れば分かります。
その単位を変えると、100㎝×100㎝×100㎝ということになりますので、1㎥は1,000,000㎤と同じ体積ということになります。
これは「幅100cm、奥行100cm、深さ100cmの穴」を掘るということになります。

②また、深さ1㎝で固定したとすれば、幅1,000㎝×奥行1,000㎝×深さ1㎝であれば1,000,000㎤となりますので、
深さ1㎝の穴で何とかしようと思えば、幅10m×奥行10mもの広さを掘り返さなければなりません。

③逆に、広さが幅10㎝×奥行10㎝の100㎠という狭い範囲で1,000,000㎤の体積の穴を目指すとなると、
1,000,000㎤=100㎠✕10,000cmなので、100mの深さまで掘らなければなりません。

①から③のどれも「同じ量の土を掘り返す」という意味では「同じ労力」と考えます。少なくとも“論理的”には同じと考えられます。
ただ、イメージ的には、感覚的には違うと思います。①から③までの中だと断然③の深く掘る方が大変そうですよね。③を寸法通りに掘ろうとしても人間の技だけでは不可能と言っても良いでしょう。何か特別な道具や機械が必要そうです。
という、その感覚も正しくて、それは学習の話で言うと知識の“暗記”と“理解”の話につながっていくのですが、一旦は、「同じ体積を掘るのなら論理的には同じ労力」ということで話を進めます。

効率良さそうな参考書と穴を関係づける

この1㎥の穴を掘ると、1,000,000㎤の量の土が出てきます。
この「穴を掘るたとえ」と「学習」を結びつけると、
穴を掘られた場所が知識が付いた場所(分野や単元)、掘った土の量が知識の付いた量だと考えることができます。

そう考えた場合、『7日間で中学3年間の5科目徹底復習』みたいな参考書がどういうものになるでしょうか。イメージで捉えてください。

「(小学校などそれまでの学習内容を含めた)中学3年間の学習範囲」というとーっても広大な土地があって、
その中で、重要そうないろんな場所を少しずつ、「ここを掘ってみるといいよ」「ここは要の場所なので絶対掘ってね」「ここも掘り返しておくといいですよ」などと、ページ数の分だけ示してくれているようなもの、という感じでしょうか。

その参考書のページ数の分だけ、ということなので、分厚いものであればそれだけたくさんの範囲をカバーできるでしょうが、そういった類の参考書はえてして薄いものが多い印象です。そのため触れられる部分はそれほど多くありません。

それだけでは、中学3年間の全ての範囲を“網羅”するなんてことはとても不可能です。それでも、なんとなーくでも、うすーくでも全体の範囲からポイントを拾っているので、『7日間で中学3年間の5科目徹底復習』という名前が全くの嘘ということでもありません。
(それに、試験で出やすい内容をピックアップしてくれているはずですので、運よくピンポイントでそこが出題されれば、ちゃんと“点数”が取れる場合もあります)

なので、穴掘りのイメージで言うと、広大でひろーいところに、少し土を掘っている場所がいくつかあるだけということになります。
ということで、ちゃんと見まわしたら、荒れ地のまま、そのままになってしまっている場所がほとんどだということが分かると思います。

それでも、「点数が取れるなら、穴がどんだけ浅かろうが、ほとんど手が付けられてなかろうが関係ない!」という人もいるでしょう。それこそが、いわゆる「コスパが良い・タイパが良い」ということなのですから。
「出るところだけやって、それで点数取れるなんて無駄が少なくて最高じゃん」というわけです。

それはそうなのですが、何のための勉強?を考えると少し疑問が出てきます。
もちろん「目先の点数を取ること」が人生における学習の最終目標であれば全く問題はないのですが、
そこを人生の目的としないといけないとなると、それはそれで、あなたが今置かれている状況についていろいろと心配になってしまいます。

浅い穴はすぐに埋まってしまう

さて、今度は掘る穴の浅さ-深さの問題にも触れていきましょう。
先ほど、穴の浅い深いは、知識の“暗記”と“理解”につながると言っていたものです。

こちらもイメージの話からスタートです。
浅く掘った穴と、深く掘った穴、トンボで整地したときに、すぐに埋まってしまうのはどちらでしょうか。これは、迷うことなく「浅い穴」ですね。当然浅い穴よりも深い穴を埋めるほうがたくさんの土が必要になり、トンボで土をならしていく場合、穴が先に無くなるのは浅い方の穴です。
(トンボって何?整地って?となる方は、「トンボ_整地」でググってみてください)

それの感覚は知識でもほぼ同じだと思います。深く刻まれた知識は長く残りますが、浅くなぞられた知識はすぐに消えてしまいます。時間が経つにつれてその掘られた溝は少しずつ埋まっていくのです。人は忘れる生き物です。現代ほど新しい情報が次から次へを入ってくるのであればなおさらです。

中学校、高校などなど学校を卒業した人たちも、その時に掘った知識の穴が埋まって元に戻ってしまった人はものすごくたくさんいるでしょうし、その一方で、深く印象づいたものや、その後も触れている知識などその時の知識の穴がまだ埋まっていない(覚えている)人たちもいるでしょう。
実際、多くの大人たちに聞いてみると、何となーく聞いたことがあるかもーな知識や、習ったはずだが習ったことすら忘れてしまった知識がたくさんあることが分かります。

例えば「サインコサインタンジェント」という呪文があります。これはなかなかインパクトのある単元ですので多くの人の印象に残っている言葉です。しかし、これが何を意味するのか、どういうときに使えるものなのかを説明できない人も多いはずです。ほとんどの人が「言葉として覚えてはいる」「聞いたことはある」というところに留まります。
これは高校生の数学で習う内容ですが、xやyなどの文字式ならまだしも、sin、cos、tanなどアルファベットが出てくることで距離を感じてしまう人も多いです。特に高校数学は、すでに数学は中学までに諦めていたり、大学受験以降で必要のなかったりする人も多いのです。そのため、その時その瞬間の定期テストをクリアするためだけに「サインコサインタンジェント」で必要な公式を丸暗記して対応完了、でその役割を終え、「サインコサインタンジェントという謎の数学があったなぁ」という印象だけが残っているのです。

このように、聞いたことはあるが、丸暗記はしていたが、実はよく分かっていないことはどのような方面の知識であってもとても良くあることです。「知ってると思っていたけどよくよく考えてみると良く分からない」「分かっていると思っていたけど、いざその知識を使おうと思ったら良く分かっていなかった」なんてことは、いつの時代も、何歳になっても、どのような立場に成ろうと、あるあるなのです。

深い穴はいつまでも埋まらない

ということで、浅い穴(短期的な必要に駆られての丸暗記による知識など)は、すぐに忘れてしまったり、何のことかが分からなかったりする知識であることが分かりました。
そして、そこそこ深い穴(知識としては覚えられているもの)とか、細かく設定したらいろいろあるでしょうが、一旦「浅い穴」の対蹠として「深い穴」がどのようなものなのかを考えていきます。

穴のたとえの項で、「③を寸法通りに掘ろうとしても人間の技だけでは不可能と言っても良い」という話をしました。そうなのです。「幅10㎝×奥行10㎝の広さで、深さ100mの穴」を人間の身体だけを使って掘ることは不可能なのです。
では、人間が100mの穴を掘ろうとするとどうなるでしょうか。それは、細長ーいきちっとした長方形ではありません。すり鉢状、漏斗状、円錐状の穴の形になることでしょう。100mはものの例えですが、ある程度深く穴を掘ろうと思うと、その地点から真っすぐ掘り下げることは不可能で、もう少し広い範囲を掘り起こさなければならないのです。

これを学習の話に言い換えると、深い穴というのは、その知識についての理解だけではなく、他の知識との関連性なども分かっているような状態であると言い換えられます。そうなると、”理解”という深い穴まで到達しようと思うと大変です。思っていた部分だけではなく、周辺知識にもある程度の深さを掘ることが要求されてしまいます。これは大変です。

100mの穴よりももう少し現実的な10mの穴を考えてみましょう。
ある地点の10mの深さまでの穴を掘ろうとしたときに、
先ほどの「幅10㎝×奥行10㎝の広さ」で良くて、深さ10mの穴となると、10㎝✕10㎝✕1,000㎝=100,000㎤の体積の穴を掘ればいいと論理的には考えることができます。

しかし、現実的には、そんな狭い範囲で掘り続けることはできないし、横から土が崩落してこないようにある程度の角度がつけられるように周りも掘っておかなくてはなりません。ある地点の10mの深さまで掘ろうとすると、直径12mほどの範囲が必要とのことなので、
600㎝✕600㎝✕3.14(円周率)×1,000㎝✕1/3、という式になりますので(今回は大体が分かれば良いので、円周率の3.14と錐の体積を求めるときの✕1/3を相殺して)、大体360,000,000㎤の穴を掘らなければならないということになります。

穴のために土を掘る量は、100,000㎤で良いと思っていたら、その3600倍である360,000,000㎤の土を掘らないといけないと考えると、頭で「あれをこうすればいいだけー」と論理的に考えていた人にとっては、想像の遙か上を行く大変さであることが分かります。

これは、理解を得るとなると相当な労力がいるなーということになるのですが、
コストとリターンが釣り合っているのが世の常であるということであれば、そんなに大量に苦労して掘った穴なのだから早々埋まらなくて当然だ、という納得もできます。

でも、実はそれだけではありません。この周辺部分も掘られた穴には、穴が埋まらない機能がもう1つ備わってきます。それは、「周辺知識に触れるだけでも、その深い穴のメンテナンスを行うようなもの」ということです。
「幅10㎝×奥行10㎝の広さ(100㎠)」であれば、その地点をピンポイントで問われなければ触れないですが、「半径6mの広さ(1,130,400㎠)」ぐらいの広さがあれば、偶然そこに当てはまる内容に当たることもあるでしょう。しっかり穴が開いていれば、「おーこれはあの時の内容だ。なるほどこういう風につながっているのか」などと、しっかり穴を再び掘ってくれることでしょう。

このように、メンテナンスの機会が多い穴は簡単には埋まらない、それどころか、良い状態のまま長く維持され、また周りも掘り進められる可能性まであります。
それを、「簡単7日間」とかで中学全範囲までの穴が掘れる、なんてことはないのです。

「簡単7日間」でできることはあくまで、「簡単に」「7日間」で掘れる量の穴しか作れません。
先に述べたように、そこがピンポイントで問われて点数が取れることもあるかもしれませんが、それはただ“点数”が取れるような出題のされ方だっただけのこと。自分の理解とは別の点数です。
見えるメリットはとても分かりやすいし、それだけに重要なことでもあるのだけども、
それだけじゃなくて、副産物的に出会う見えないメリットを喜べることも見えないだけにもっと大事なのことなのかもしれません。

結局掛けた労力の分しか実にならない

というように、学習についてあれこれ話してきましたが、倍速動画、ファスト映画も本質的には同じことです。

倍速で映画やドラマ、アニメなどの番組作品を見るとどうでしょうか。
どんな話だったか、どんなシーンがあったか、など表面的な知識は得られるでしょうし、話題になっているときに友人知人と話を合わせられる程度にはその知識の穴ももつでしょう。
しかし、その話が伝えたかったメッセージや、その登場人物の心の機微などを感じて味わうことはかなり難しいかと思われます。音もなく空を写しているシーンが「5秒」なのか「2.5秒」なのかでそこで表現されるものが全く変わってしまうのです。
その「5秒」は「何もない意味のない5秒」ではなく「感情を推し量り想像するための5秒」なのです。その5秒に意味を持たせられるかどうかは、視聴者それぞれにかかっているのです(そしてその感じたことに答えがないのが、さらに“意味がない”を加速させていることでしょう)。

分かりやすく「友達との話を合わせるため」とか「単に情報として知っておきたい」とかであれば、倍速視聴に向くかもしれませんが、
「ちゃんと本質や裏側までしっかり理解したい」「その映像の意味などを考えながら見たい」とか「自分の経験に照らし合わせて考えたい」とか、それぐらい深くまで潜ろうとするのであれば、倍速再生は向かないでしょう。その作品を最大限に楽しもうと思ったら、自由に使える余白がある“等速”で視聴しながらにするか、倍速視聴後やその途中で一時停止してそれについて考える余白の時間を作るか、そういった対応が必要となります。

このあたりも、「何のために?」ということが問題になってきます。
今は、こんなこと(等速で見るか倍速で見るか)でさえ、自分の意思で選びその結果責任を負わされることが強要されるということになっていくわけですが、これが生きやすくなっているのか生きにくくなっているのか、難しいところです。
全てを明らかにすることが、すなわち生きやすくなるとも限らないわけです。

まぁとにかく、この項では「そんなうまい話はそうそうないぞ」ということを伝えたかっただけですので、人生全般において「自分だけには素晴らしい選択が用意されている」というようなことを信じるギャンブラー的な生き方ではほぼ失敗してしまいますので、地味に地味に進む感触を味わっていける生き方を探っていければと思っています。

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