“相手のため”のコミュニケーション

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今回は、こちらの記事の続きです。

前回の内容から

前回も“相手のため”の難しさについては少しふれておりましたが、
今回はその中でも特に、「“相手のため”とコミュニケーション」の関係について考えて行きたいと思いますが、それに進む前に、前回の話の中で、改めて確認しておきたいところをピックアップします。

前回、
「自分の立場/相手の立場」で「自分のため/相手のため」に行動する、という話をしていました。

④「自分がしたいようにする(自分の立場で考えて、自分のために行動する)」のは、自分本位の幼い振る舞いで、
③思春期になって、「相手の嫌がりそうなことをする(相手の立場で考えて、自分のために行動する)」など相手の立場を考えようとする方向に進んでいく、
そして、①「相手の立場に立って(相手のために)行動する」はむちゃくちゃ難しい
というような話をしました。

②「自分がされて嫌なことを相手にしない(自分の立場で考えて、相手のために行動する)」についてはあまり触れていなかったのですが、
②のような話はとても幼い時期から教育的に言われがちなことなので、この②と③の番号は、言われる時期の順序でも、その難しさのレベルでもありません。
③「相手の嫌がりそうなことをする」は、“相手の立場”に立とうとする難しさがありますし、
②「自分がされて嫌なことを相手にしない」は、“自分のため”を自重する難しさがあります。

コミュニケーションについて

まず、すごく簡単にコミュニケーションについて触れておきます。
コミュニケーションとは、広い意味で「自己と他者との間の様々な情報のやり取り」を指して、バーバル(言語)、ノンバーバル(非言語)など言葉や行動によってやり取りされるものとします。

コミュニケーションの例

どういうコミュニケーションが良いのか/悪いのか、的な話は、検索すれば山のように出てきます。

例えば、
良いコミュニケーションとして、「ポジティブな言葉を使おう」とか「分かりやすく簡潔に話しましょう」とか「素直に正直に話すこと」とか「適切な質問とかを投げかける」とか。
悪いコミュニケーションとして、「一方的にずっと話し続ける」とか「攻撃的な言葉を多用する」とか「嘘をついたり誤魔化したりする」とか「ネガティブな言動を返す」とか。

まぁ、こういう情報を得たとして、それを自分のコミュニケーションに取り入れるとなるとかなり難しいことです。慣れないコミュニケーションの形を取ろうとすると、会話のテンポが乱れます。小さな乱れかもしれませんが、コミュニケーションの際に違和感が発生するとそれだけでも円滑なコミュニケーションからは遠ざかってしまいます。
「良いコミュニケーションの形」を“知っている”だけでは足りません。身体に馴染んで自然にそのようなコミュニケーションが“できる”ようになるまで鍛錬を繰り返さなければならない、ということです。

ちなみに、どれも代表的な良い/悪いコミュニケーション例として良く聞くものばかりですので、ある程度納得感はあるものだと思います。コミュニケーションの型を体系化はしていないので、網羅されてはいないと思いますが、調べてみると似たような内容で述べられているかと思います。

そして、この話の流れでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、良いコミュニケーションは「相手のため」であることが多く、悪いコミュニケーションは「自分のため」であることが多いです。

“自分のため”と“相手のため”

さて、模範的なコミュニケーションは上記のような言葉であり、それを身に付けるのも大変ということにも触れました。
がしかし、さらに難しいお話を考えてみたいと思います。

例えば、以下のケースを考えてみましょう。

A「昨日これ作ってみたから食べてみて」
B(もぐもぐ………これはそこそこ美味しい………)
B「※※※」

「※※※」に当てはまるセリフを考えてみましょう。
いろいろ考えられそうです。

ア.「これはおいしいですね」
イ.「これはまずいですね」
ウ.「これはむちゃくちゃおいしいですね」
エ.「こんなにおいしいのは初めて食べました!」
オ.「これはクセになりそうな味ですね」
カ.「これは隠し味にチョコレートを入れた方が良いと思います」
キ.「これは好きな人はいそうだけど私の口には合わないです」
ク.「これはテンション上がるー」
などなど。

この返答のうち、どれがいい反応でしょうか。
もちろん、絶対的な正解を選ぼうとすると、AさんとBさんとの関係性や、この会話が行われた時の状況など、いろんな情報が必要ですが、それで選ばれる正解も所詮、現代文的な正解でしかないのでそこまでこだわらなくて大丈夫です。
なぜなら、人と人との会話に毎回絶対的な正解を出す必要もありませんし、それは不可能なことです。会話はたくさん交わしながら、その全体感でその人との間の関係性はできていくものです。「毎回絶対的な正解を出さなければならない」と思いこんで会話をすると、「間違えられない」という切羽詰まった気迫も伝わってしまうため、結果的に相手との関係性が一番良いものになるかどうかは別の話です。というか、その緊張感では良い関係性は築けない可能性が上がってしまいそうです。

さて、どんなセリフを考えましたでしょうか。どれを選ばれましたでしょうか。選択肢の中で言うと、多分「ア」「ウ」「エ」「ク」あたりを選んだ人が多いのではないでしょうか。

それぞれの返答の意図を考えてみると、
ア.「これはおいしいですね」(素直な反応)
イ.「これはまずいですね」(嘘+ネガティブな言葉での反応)
ウ.「これはむちゃくちゃおいしいですね」(盛った反応)
エ.「こんなにおいしいのは初めて食べました!」(さらに盛った、むしろ嘘まである反応)
オ.「これはクセになりそうな味ですね」(独特な反応。たぶんそのままの素直な反応)
カ.「これは隠し味にチョコレートを入れた方が良いと思います」(素直なアドバイスなのかマウントなのか)
キ.「これは私は好きな味だけど口に合わない人は居そうな味ですね」(ネガティブな言葉+謎の下げムーブ)
ク.「これはテンション上がるー」(パッションで盛り上げる反応)

「イ:嘘+ネガティブな言葉」「キ:ネガティブな言葉+謎の下げムーブ」あたりは、2人の関係性が悪いか、Bさんの感覚がひねくれているかなとか思ってしまいますし、「オ:独特な反応。たぶんそのままの素直な反応」は相手が想定外であった場合、その後の会話が微妙な感じになってしまうかもしれません。

そのあたりのことはここまでにして、ここで注目して取り上げたいのは「ア」「ウ」「エ」の違いについてです。
先ほど、良いコミュニケーションを考えるときに「素直で正直な反応」が良いということを述べました。そして、悪いコミュニケーションの例として「嘘をつくこと」を挙げました。

そうなると、以下の3つの選択肢の中では、
  ア.「これはおいしいですね」(素直な反応)
  ウ.「これはむちゃくちゃおいしいですね」(盛った反応)
  エ.「こんなにおいしいのは初めて食べました!」(さらに盛った、むしろ嘘まである反応)
素直な反応である「ア」が一番良いコミュニケーションであって、「エ」はむしろ悪いコミュニケーションということになります。

ただ、実際には、「エ」の返答が一番会話が弾んでいくことになるのではないでしょうか。次点で「ウ」そして、「ア」。素直な反応が一番盛り上がらない返答=コミュニケーションにとって良くないこと、ということになってしまいます。

これはどういうことでしょうか。

基本的な考え方は同じです。
その「盛る」や「嘘をつく」が誰のための行動か、ということです。「盛った」り「嘘をついた」りと、積極的な動きをしている分、むしろ“相手のため”であれば相手に傷つける悪意が無いことが伝わり、「一緒に盛り上がる」方向に乗ってくる可能性は上がるでしょう。

一方、「素直でいる」ことは、気持ちは自分の方向に向いている分、その動きのエネルギーは小さいです。そのため、良くも悪くも「むちゃくちゃは盛り上がらない」し、「むちゃくちゃ警戒されたり距離取られたりもしない」ということになります。
その場の環境にもよりますが、みんながみんな自分を偽って(盛ったり嘘ついたりしながら)盛り上がっている場で、自分だけが「盛れない・偽れない」「きれいな自分のままでいる」ことを選んだ場合は、コミュニケーションにとっていい方向に働くことは難しいでしょう。

そのあたりを表にすると、以下のような感じでしょうか。

行動リスクの大小ベクトル
盛る(・嘘をつく)=動きが大きい(外向的)相手のためでもある
素直でいる=動きが小さい(内向的)自分のためでもある
素直でいる=動きが小さい(内向的)自分のため
(盛る・)嘘をつく=動きが大きい(外向的)自分のため

この表でも分かるように、
「素直でいる」という、“自分の立場”を保ったままいるスタンスよりも、
“相手の立場”を考えて上手くやらないと成功しない「盛る」や、ややもすると「嘘をつく」ことを、“相手のため”にやった方が、結果的には“良いコミュニケーション”になっているということです。

とはいえ、「素直さ」が正しいといろんな角度で教わってきていると思います。そういう場合、「自分」を控えて「相手」を立てために「(自分はそこまで思っていない)相手が欲しがる言葉」を発することへの抵抗はあると思います。
そうなると、「素直な自分の反応」と「相手が欲しがる言葉」を天秤にかけて、「自分」をどこまで控えられて、「相手」をどこまで立てられるのかというバランスが大事になってきます。
なんだか、「誰かの権利は誰かの我慢」みたいな構造なのですが、それをどう受け取るのか、どこまで自分を抑えることを認めるのか、それはとても難しい問題です。

すぐには答えも出ないでしょうし、その振る舞いもすぐにはできないでしょうから、少しずつ考えてみて欲しいと思います。自分の中の何を大事にするのかを。

目的的に“相手のため”を装う効率厨

一方で、
「嘘」の何が悪いのか、「盛る」の何が悪いのか。
という人もいます。

「相手が欲しがっていて、自分も別に良いと思っている」なら、自分に嘘をついて表現することは悪くないじゃないか、という考え方が広く目につくようになっています。
卑近な例として、芸人さんやタレントの盛ったトークやリアクションは、テレビでも動画でも日常的に見ていると思います。これ自体は芸の一種でもあるので、それが別に悪い事ではないという感覚の人が多いと思います。
それが自分たちで動画を発信できるようになってから、配信者(2次3次問わず。特に投げ銭系)、インフルエンサーだけでなく、夜職(男女問わず)のキャストさんなども、トークやリアクションはもちろんのこと、実写の加工やVtuberなどのモデルなど当たり前に外見すら「盛った」状態が当たり前になっています。(最近は、初期設定で盛れるようになっているスマホのカメラも当たり前です)。

それこそ、それらを使ってお金をたくさん稼げているのであれば、「稼げれば正義」とばかりにその手法の影響やその是非は議論されることはありません。そのお金にならない議論より、手っ取り早く表面的に小手先の技術に頼って金になるならそれでいいという考え方が目立つ世の中です。厳しい世の中になればなるほど、「相手の立場で相手のために」を考えるよりも、ぎりぎりの自分が生き残るために「自分の立場で自分のために」となっていくことは当然です。

何より、目に見えるのは「うまくいっているコミュニケーション」であって、その下に「盛る・嘘か、本当に思っているのか」があり、さらにその下に「相手のためか、自分のためか」があります。「誰のためか」というところまで相手に伝わることはほとんどないでしょう。“都合の悪い部分は見えないとても効果的な手法”であるので、悪用しようと思う人ほど上手く扱うことができる代物です。(一部、善用でやられている方もいらっしゃいますが、これも「自分たちの都合の良いきれいごと」みたいに見えてしまうので悪用しているのと区別することが難しくもあります)。

また、「都合の悪いことは見たくない」「その場が良ければすべて良し」の考え方で良い人にとっては、お互いにとってそれがもっとも手っ取り早く“良い結果”に繋がる方法ということになります。状況が厳しくなればなるほどそういった人の割合は増えていくでしょう。

前回の、“相手のため”はいつ時点の話なのか?という難しさの話をしました。ここでも、「今、その場」だけの“相手のため”ではなく、「未来」の“相手のため”であるのが理想ではありますが、その理想よりも現実の誘惑がとても強い状態(抗えないぐらい現実がひどい状態)になっているのではないかと思います。

その良し悪しを、一方的に断罪することは不可能ですし、意味もありません。
かといって、前回のように、当事者同士でその是非を話し合う余裕が必要、ということでもありません。
その全てを露わにすることが正しい結果に繋がっていくとは言い切れないからです。
(自分のため/相手のためのバランスを露わにすることの難しさもそうだし、それが露わになったとしてそれがコミュニケーションにとってどういう影響を与えるかを考えると、疑心暗鬼を生むだけではないかと思われます。この辺、共依存的にお互い自分のためでもあり相手のためでもあるみたいな関係性を作って・・・とかも含めて書ければと思いつつ、一旦ここまでに。)

“自分に素直”な発言は「幼い」のか

結論から言えば「自分のため」の“素直さ”は幼いというか、未熟ではあると思います。
例えば、こんな感じのコミュニケーションはどうでしょうか。

Aさん「おはよーあー今日なんかつらいんですけど、なんでなんだと思います?」

急にこんなことを言われたら、困ってしまいますよね。
これはただただAさんが今日のつらさを“素直に”言葉にしたにすぎません。こちらは全然Aさんの状態とか情報とか何も分からないまま、何をどう答えてもいいのかも分かりません。
自分のことは“素直に”言葉にする一方で、相手のことは何も考えられていないこのようなコミュニケーションは「幼い」ものです。

Bさん「なんでカレーが嫌いなんですか?」
Aさん「えーなんだろうー・・・カレーが嫌いだからですかね」

この場合は、Aさんが全く会話する気がないのか、その理由が分からないからそう答えるしかなかったのか、ともかく話が全く進んでいないので、会話している甲斐がありません。
このようなコミュニケーションもなかなかに未熟と言えそうです。

「自分のため」のコミュニケーションとは、文字通り「自分が有利になる」「自分は傷つかない」など自分にさまざまな利益を持ってこようとするのが基本ですが、この2つの例のように「自分のことでいっぱいいっぱいになっている場合」や「未熟なために思考や表現が追い付いていない場合」なども含みます。「今の自分の状態を何とかする」という意味で「自分のため」なのです。

その延長で、自分の気持ちを“素直に”表現するよりも、自分の気持ちを置いておいてその会話(自分と相手との関係性)のために言葉を選ぶことはある意味必要なことなのかもしれません。

純粋に自分の感情をそのまま話すこと、素直であること、嘘をつかないこと(誇張しないこと)は昔から大事なこととして教えられることではあります。そしてそれは間違いではないので、それさえしておけば自分に落ち度はないと安心できるかもしれません。しかし、それではお互いに落ち度のない無難なコミュニケーションしか目指せないのもまた真実です。そして、汚れを知らない潔癖のままであることを「幼い」と表現されることもあるのです。

自分の言いたい素直な気持ちをそのままで表現するのではなく、嘘にもならない程度に感情を乗せて話すこともいいでしょう。これも技術が必要です。
その上で、自分の気持ちに折り合いをつけて、「それはない」「言い過ぎ」「嘘だ」と言われるリスクを取って、その場が盛り上がるような言葉で話す。むしろ、自分が損をするようなことであっても、相手のために、コミュニケーションのために犠牲になる精神で話すことができれば、それは「相手のため」のコミュニケーションと言えるでしょう。そして、そうなるにはとんでもなく話術を磨く場を越えていかなくてはなれないでしょう。

そういった世界を覗くことができれば今までの自分のコミュニケーションから見えるものだけではなく、全く新しい世界が見えてくるのかもしれません。
このように自分を犠牲にしても相手や関係性のためになる行動ができる人を「幼い」とは表現しないでしょう。

ということで、前回の話で“相手の立場に立つ”もくそ難しいことと、だと前回に話しましたが、
“相手のために”もいろんな方向で相当に難しいことが分かりました。

「相手の立場に立って考えよう」

とても気軽に使われる言葉ですが、その実、しっかり考えると、とてつもなく大変なことでした。

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