食、摂取だけでない食

食を楽しむこと

こちらの記事(@ぐっちの人生道場)で「とりあえず一人でも調理していけるようになれるよー」的なものを書いたんですけど、
そしたら、世の中では「完全食」が話題になってましたので、食の追記を。
そして、内容的に完全に「まなざし」目線だったので、こちらで投稿。

完全に完全食で生きる人

完全食とは・・・
健康を保つために必要と言われる栄養素が全部含まれている食品

日清食品さんの完全メシシリーズが有名で、
その他、プロテインなどのドリンクタイプとか、
チョコレートやパンなどもあります。

で、話題になっているのは、こちら。

abemaで取り上げられていた6年間完全食で暮らしている男性
>「食事の時間はムダ」 完全食だけで6年間暮らす男性

確かに効率だけ求めるならあり、なのかな?

「可視化されたメリットだけで生きていく」というのはいかにも今っぽくて、
安心安全もどんどん数値化されている今の社会には合っているから受け入れられる余地は確かに十分にありそう。
一方、食は古くからエンタメの1つになるぐらい人間の欲と結びつきが強いものでもあるので、ただの栄養素の摂取を越えた楽しみ方がグルメであったりする。
なので、賛否が得られる良いテーマですね。

こういうのをどう考えるかで自分自身がどういう人間なのかが見えてきますね。

でも、世の中的に無駄を省く方向でずっと言われていることもあり、
さらに、余裕もなくなってきている世の中で、更なる削減を求められれば、
「食」すらも切らなくてはいけないようになったのかという絶望感もあったりします。

食の栄養素以外の価値

わたし自身の好みとして

私は栄養素とその推奨摂取量とかもそうだけど、世の中の数値にしきれないものの可能性も信じているし、
ある程度の体への負荷が身体の成長につながるとも信じているし、

何より、各地の特産品とかをとても楽しみたい派の人なので、
当然、食を楽しむ側ではあります。
できれば、誰かと、がいいんだけどね。
(それはそうと、相当肉付いてきてるので痩せないと、と毎年言ってるような気もするが。。。)

もっと外側への視点を

食は、食べ物を通しての世界や人とのつながりの機会でもあったりします。

例えば、
「いただきます」が「命をいただいている」ことであったり、
食材を育ててくれたり、収獲してくれたり、作ってくれた人への感謝であったり、
いろんな人間、生物とのつながりが食の中にはあります。

でも、生き物との関わりは予測できない要素もたくさん出てくるもの。
そして、それが今すぐには何に役に立つのかも分からなかったりするものも多いです。

そういう確実じゃないものを経験することで成長するものもあるんだけど、
その不確定でメリットがよく分からないものより、安定して確実なものを得ようとするのが今の世の中の流れ。
なので不確実な生き物とのつながりはできるだけなくして、機械的に論理的に人工的に。
そこから得られる予測可能な再現可能なものを、便利だから楽だからと受け入れていく感じ。

人はどこを目指していくのか

ある程度制御可能で、予測可能な世界で生きるもの。
マシーンに寄っていく人。
そして一方、人間になろうとするAI。
ねじれで交わるかんじになるんかなぁ。
(劇団四季の「エルコスの祈り」的な。acidmanの歌とかドラクエⅦにもそんな話が合ったような。。)

目に見えないものも大事にしたい

食べ物に近い話でいえば、
例えばさまざまな菌とか目に見えないものにもいろんな作用があるんだけど、
そういうの関係なく、除菌滅菌などがどんどん受け入れられていき、
コロナでより除菌滅菌がスタンダードになってしまっている。

それが良いのか悪いのか。
少なくとも、今はそういうものではなくても、同じような味を感じられるのであれば、
菌とかの作用が無くても全然OKな流れ。その方が安いし。

目に見えるものだけを大事にした結果がどうなるのか、
それはまだ結果は出てない。
いや、いろんな統計で出てるかもしれないけど、因果関係は科学的には証明されない。

果たして、人間はどこに向かって生きていくんだろうか。