読書の方法: 未知を読む (講談社現代新書 633) | 外山滋比古【第2回-教養】

教養(講談社現代新書)

今回は100ページまで読めた。
比較的私にとっては分かりやすいものだったので、前回よりスムーズに。
配信とか読書への慣れもあると良いなと。

その本を読んで思ったこと気付いたことを雑記的に書いているので、
正式な引用とは出来ていないですが、上記の範囲のところからの要約などを含みます。
「>」のマークところは基本的に私の考えを思うままに述べているところになります。

未知は分かりにくくて当然のもの

読みにくい本は未知のもので難しい。
逆に読みやすい本は既知のことであるので、ある意味では読む意味が少ないとも言える。と。

>前回読みにくかったものは、私にとって未知なものであったんだろうなと。
それは読むスピードが遅くても当然で、だからこそ意味のあることなんだということ。

分かりやすさ至上主義へ

戦後、アメリカから「分かりやすいことは良いこと」という考えが輸入されてきて、
ややこしいこと分かりにくいことにチャレンジしていく美徳は薄まっている。
とのこと。

>これは以降も同じで、「分かりやすさ」がどんどんもてはやされてるなぁと。
今の「文字を読む」→「動画を見る」という世の中の流れも、分かりやすさの一方通行の流れの中のものだと受け止められます。説明書は無くなり、動画で案内されることもしばしば。。
難解な文章→簡単なライトな文章→視聴するだけの動画の流れ。動画でもテロップ付けたり、繰り返したりする分かりやすさが求められている。

あと「分かりやすさ」の他にも「安さ」「早さ」「楽さ」などなど、どんどんお手軽な感じに世の中が流れていっているようにも思える。

分かりやすさに慣れ過ぎると、見えているものの先が見えなくなってしまう。
「見えないものは見えない」で終わってしまう。

英語とは違って、日本語はややこしい言語(=だからこそいろんな深いものを表現できる言語)だから、動画であっても分かりやすさ(=薄っぺらさ)を超えた動画とか作れればいいかもやけど。

新聞は難しいか

スポーツ新聞の記事は楽しく読めるのに、政治や経済の記事は難しいのはなぜか。
とはいえ、スポーツ記事でもしらにスポーツであればやはり読み解くのは難しい。

>これも知識がある既知の領域だから。
新入社員時代、日経新聞を3カ月読み続けろと言われたことを思い出す。
最初はホントによく分からんまま。とりあえず3カ月読むことを目指して。

読んでるとそろぞれの知識の立ち位置が分かってくるし、分かってくるとより知りたくなるわけで。
外国語のリスニングとかもそうかもしれない。
分からないととことんわからないけど、分かりだすと良い感じに分かってくる。とか。
まぁ私は英語耳がないのでどうなのかは実感を持って確かめられるかと。

自己中心の加工

>分かれば面白く、分からなければつまらない。そして難しい。
難しい、分からないの部分にこそ学ぶ、読む価値がある。

知識の繋がりを得るための手がかりと
知識の数珠繋ぎと
これまでの知識や経験からの類推で、
見えないものを見ようとすることが大事。

ただし、類推含め自分の頭にあるものの何と何を繋げていくのかは「自己中心の加工」。
人は自分に引き寄せてしまう傾向があるので、都合の良い解釈というのは往々にしてああり得る。都合の良い勘違いが生まれる可能性ももちろんある。

具体の強さ

具体の持つ力の強さ。
例えば、ゴシップ記事の魅力。
ゴシップの場合は、その対象の芸能人という具体(固有名詞)もあり、
例えば、話の流れやストーリーの魅力。
ストーリーがない社説のようなものは読みにくい。

>ゴシップの場合、記事を追うごとにストーリー性も増していくわけで。
ますます魅力的になることでしょう。

具体の際たるもの、数字
数字の強さもかなり大きい。
分かりやすいからこそ使いやすいし、武器にもなる。
だからこそ、企業は数字を追っかけるのに必死だったりするわけで。

批評より紹介の時代

批評が成り立つには、批評を読む側にもその対象の知識があること。
これが成り立たないのであれば紹介を含むことになる。
そうなると文字数的な制限もあり、紹介だけに留まる。

>批評自体が敬遠されるような社会になってきてもいる
難解なものが敬遠されて分かりやすさが求められるように
批評、批判なども敬遠されて、角の取れた社会になっていっている感じ。
何かあるとすぐに「ハラスメント」「ブラック○○」だからなぁ。

2種類の未知と2種類の読み方

2つの無知
1.ことばそのものとか、表現とかが分からない
2.言葉の意味は分かるが文の意味が分からない

>この2つの未知を超える経験があると良い。
未知の繰り返し
子供は素直に聞き返しまくる。子どもは40,000回質問をするとも言われる。
その過程で、知っていく経験を積めるといいなと。

2つの読み方の教育
1.既知を下敷きに読む読み方:アルファ読み(スポーツ記事)
2.既知からの類推で読む読み方:ベータ読み
社会はアルファ読みの要請が強い。
分かっているものを読むことは面白いのだから当然。

>このアルファ読み、ベータ読みについてはこの先にも記述されていたが、
本読み会では時間切れ。

という事で、第2回の教養回の「自己中心の加工」マシマシの所感でした。
読書の方法<未知>を読むを2時間かじってみる:第2回633【教養】【自習室】

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