「嫌なこと」との向き合い方
「嫌なこと」というのはたくさん出会います。
世の中の出来事にも
人生で出会ったり関わったりする相手にも
自分自身の言動とか能力とかにすら「嫌だー」と思うことも。
もちろん人間なので、
「完璧なんかでいられるわけがないだろ」『スマイル』ホフディラン
という心持ちがあれば、
ストレスでやられてしまわない道も見つかるかも。だけど、
一方で、
「いやだなあと思うこと そのままにしてたら たましいが腐るから」『極東学園天国』日本橋ヨヲコ
という言葉もあったりする。
このことばに触れた中学生のころ、
「大げさなセリフだなぁ」とピンとこないところもあった。
「魂」これはさすがに大げさ、
かもしれない。が、ないわけではない。
「嫌だなあと思うこと」をそのままにしておくと、
「嫌」をそのままにすることで「思考」が腐っていき、
「思考」もちろん「行動」にも影響を与え、
「行動」が鈍化すると当然「肉体」も弱っていく。
その結果として「魂」が腐るということなんだろう。
ただ、「いやだなぁ」と思うことはその時の状況や実力で対応できるとも限らない。
むしろ、自分で何ともできないことだから「嫌」と思うという可能性すらある。
先の作中では、主人公は具体的な行動を以って対応していたわけだけど、
現実的な私自身が具体的にそれに対して行動できることは稀だと思う。
では、どうしたら良いか。
現実的な策としては
「一旦距離を取る」というのが有効かと。
「一旦距離を取る」のは、「そのままにする」とは違う。
距離取って、時間取って、向かい合える知識や精神的な姿勢が整ったときに
改めてその「嫌なこと」向かい合ってみればいいと思う。
たとえ距離を取って「嫌なこと」忘れてしまったとしても、
私自身が解決すべき課題であれば、巡り巡ってまた出会うもの。
出会ってしまう課題であれば、距離を取っている間でも、人生の中で何度も気配を感じるもの。
その度に、今の状況で戦えるかどうか振り返りつつ、
無理そうであれば、ちゃんと戦えるようになるまで距離を取って能力を高めましょう。
その気持ちの方向があるだけで、
魂も肉体も行動も思考も腐っては来ないです。
※嫌なことに向かい合うことは運気を下げる、という考え方もありますが、
それは、私自身がそのことに対してどういう気持ちで向き合うかによります。
「何とかしようとする」という心持ちであれば、ポジティブな方向で進みます。
(サムネにはfirefly(adobe)を使用しています)